読書日記を感想文的に書き綴っています。「お知らせ」には日々の雑感、興味のある分野を記載しています。
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3.17(月)読了
1992~1993年の村上氏のエッセイ集。この頃はアメリカのプリンストン大学で大学院生相手に、週1コマの講師をしていた時期です。 例によってジャズ関係のエッセイが多いです。私はジャズはあまり知りませんが、好きな人は熱狂的に好きなんでしょうね。本の中で、古本屋や古い音楽店で昔のジャズレコードを漁るのが目下最大の癒し行為、というようなことが書かれていますが、この感覚はよくわかります。私も古本屋を漁るのが大好きですから。古本屋といえば、最近は「BOOK・OFF」や「古本市場」といったチェーン店が増えてきていて、その煽りで昔ながらの個人の古本屋が廃業に追い込まれています。私の母校の大学の近くでは、校門から駅までのわずか200メートルあまりの道に個人経営の古本屋が5つあったのですが、駅前に「BOOK・OFF」が進出してきたことにより、現在ではわずか1店舗に追い込まれてしまいました。別にチェーン店が嫌いというわけではないし、欲しい本が簡単に、それなりにリーズナブルな値段で購入できるという点はおおいに評価できます。学校帰りに毎日のように「BOOK・OFF」に寄っていたしね。しかし、やはり昔ながらの古本屋が好きです。あの古臭い店の雰囲気や個性味あふれる店主、店に寄って値段の違う古本を、最安値を探すために巡った日々の数々、他店で1000円で売っていた本をわずか50円で発見したときの興奮と感動。それらの記憶のひとつひとつがやさしく、ふんわりほっこりとした甘くて美味しい金時イモのように心をなごませてくれます。 ショックなことに、私の一番のお気に入りの古本屋がなくなっていました。つい最近、フラッと母校の大学にいき、帰りにその古本屋に寄ってみたのですが、無常にも一枚の張り紙が貼られているだけで、あの古くも楽しい大量の古書はすべて撤去されていました。 その古本屋は古い3階建ての建物の3階にあり「○○書房」という店名でした。古く、暗く、狭く、7坪あるかどうかといった店で、店主の懐古趣味なのか経費節約なのか(おそらく後者でしょう)店の明かりは裸電球1個でした。床はベニヤを貼っているだけかいうように、歩くたびにギシギシ音を立てて、いつ底が抜けるかとおっかなびっくり歩いていました。その名のとおり「歩くと危険」なお店でした。店内には大量の、大量の古本がアットランダムに詰まれていました。値段も古い文庫本は1冊5円から、ハードブックでも30円から売っていました。20冊購入しても100円です。用も無いのに店に寄って乱雑に積まれている古本を漁るのは得もいわれぬ快感があり、気がつくと1~2時間経過してしまいました。店主も小柄で無口ながら、しゃべると明るくて人懐っこさそうな60代の初老の男性で、いつもレジ(というか番台)の前で丸イスに座りながら古本を読んでいました。あぁ、この人は古本が好きで、古本を愛しているんだなぁ、といつもしみじみと感じていました。ほとんど話したことはありませんでしたが、この人が入院したときは人知れず心配し、お店が閉まっていたら、不況のあおりで潰れたのかしら、と心を揉んだものです。 そんな思い出のいっぱい詰まった、あの、古くて偉大な古本屋が……くっ(と涙をながす)。1分間くらい店の前で呆然と立ちすくしてしまいました。本当に残念です。1日でいいから、あの懐かしい店と店主に再会して、思い出の時間を過ごしたい……。 そしたら5円本を1000冊くらい買い占めてやるのに、チェッ!(雰囲気だいなし) PR
3.17(月)読了
<あらすじ> 小さい頃からおとなしく、感情の起伏が驚くほど少ない女の子。母親は心配して病院に連れていくが、知能には問題がない、この子の個性といわれる。成長してもなにに対しても興味がもてず、感情も涌かず、ひとりでぼんやりしているのが好きだった。ぼんやりと何時間でも過ごしていると、何時間でも飽きることがなかった。日々のせわしない生活があまりにも自分にあっておらず、親に心配をかけないように精一杯ついていこうとする。学校にも勉強にも、歩くスピードさえがんばって遅れないようにする。家に帰ってくると食事もせずに、ただただ寝て過ごした。この時間が彼女にとって唯一最大の幸福の瞬間だった。そんな彼女は痩せていて、まわりからはミイラ女と呼ばれるようになる。感受性が強く、まわりの感情を悪い磁場として捉えてしまい、ついに学校へいくことができなくなる。ひとりで家にいると落ち着く。ぼんやりと時間を過ごしていれば十分、幸せを感じた。 父は「いずれはひとりで生きなければならない。何がしたいかよく考えなさい」と言われるけれども、人はなにかしたいものがないといけないのだろうか? ただ生きているだけではいけないのだろうか? と考える。彼女は精一杯の努力をして、それでもこうなったのだった。ヒトはお金がないと生きていけない、つまり死だ。お金を稼げないと弱者だ。なんだ、生まれてきた目的はお金だったのか。だったら、生きていなくてもいいや。でも死にたくはない。このままの状態でいたいが、それは難しいことらしい。母は父と違い、このままの状態でいいと言ってくれる。うれしくて母に抱きつくと、母ははらはらと涙を流した。 そして日が昇り、風が吹き、日が沈むと30年の月日がたっていた。気がつくと、年老いた母が彼女の膝元で死んでいた。ミイラのようになっていた。彼女は何も食べていないので痩せこけていた。彼女は母親を上から抱きしめる。腐った臭いがした、それはなつかしいような臭いだだった。そして彼女にもお迎えがきた。彼女は天に上昇し、光の渦に入っていく。そして彼女は自分が誰だったのかをようやく思い出した。彼女は木霊だったのだ。樹齢2000年の杉の木だったのだ。かつて杉の木だったが彼女は、人間の伐採により切られ、その後は転生できる木がなくなってしまった。森が消えてしまったのだ。しかたなく人間に生まれ変わったが、木霊にヒトを生きることはできなかった。そして彼女は願う、今度こそ木に転生させてくださいと。その願いは叶えられ、一粒の種として生まれ変わる。種は成長して木となる。自然系のなかで貴重な循環を担うこととなる。彼女はただ、世界のバランスのために生きている。彼女は存在しているだけでよかった。そう、命はただ、存在していることだけで、ギフトなのです。 「転生」と主題は似ていますが、こちらの方がよりダイレクトに伝わってきます。 なぜ生きなければならないか、なんのために生きるのか、そして他人と同じ価値観で生きなければならないか、そのようなことに木霊の霊は悩みます。ヒトはそれぞれ生まれてきた理由も違えば、課題も異なります。ゆえに、同じような生き方をする必要はない、そのヒトの課題をクリアする、もしくはそのヒトにあった生き方をすればいいということでしょうか。 この作品でも人間の環境汚染、森の伐採により地球が泣いている姿が描かれています。 田口さんの作品には転生、環境汚染、他人とは違っている自分、などが描かれていて、著者の訴えたいことが明確です。非常に好感をもて、心に響いてきます。
3.16(日)読了
国際政治のジャーナリストとして活躍していた中丸氏の、スピリチュアルな啓蒙書。 世界各界のリーダーにインタビューをした中丸氏は、人の心の奥底には共通した平和の願いがある、そしてそれは、一人一人の心に平和の願いが宿ったとき初めて実現される、と確信し、「太陽の会」を設立する。さまざまな不思議な体験を重ねて、中丸氏は精神世界を熟知する。そしてそれを伝えるために、日々活動している。 本書ではわかりやすい言葉で、見えない世界―あの世―について語っています。人はなぜ生まれたのか、そしてどのように生きるべきなのか、どこへ向かっているのか、などという根源的な問題をわかりやすく伝えています。 人生に、なぜ?と思ったときに読んでみるといいかもしれません。もしかしたら、パシッとその解答が本書から見出せるかもしれません。
3.14(金)読了
祖母を自宅介護している著者が著した、老人介護についてを語っている本。第98回文学界新人賞、第131回芥川賞受賞作。 前半を読んでいる限りでは、あまり面白くないなぁ、と思っていたのですが、中盤から実際の介護に関する苦労、苦労、苦労がヒシヒシと伝わってきて、惹きつけられました。文体も個性的でいいと思います。新人賞はこういうところも評価対象になりますからね。 介護、と簡単にいっても、これは実際にやった者にしかわからないのでしょう。誰が介護をするのか、金銭面の負担は、親族との関係は……、さまざまな問題があります。私は経験がないのでわかりませんが、これは多くの人が直面する問題です。 友達の母親は自宅介護の経験があるそうですが、やはり介護の大変さは経験者にしかわからないと言っていました。 著者の祖母への献身的な介護は、読んでいて頭が下がります。そして、豊富な語彙力で書かれた文章も、ふらつきが無く安定しています。読ませる本でした。
3.19(金)読了
<あらすじ> 15の政夫と17の従姉民子。政夫の母親の体調がよくないので、民子は看護や仕事の手伝いで斉藤家にやってくる。小さい頃から仲がよかった2人は、次第に男女の恋愛感情を抱くようになる。しかし、兄嫁や作女のお増はそれが気に入らずに、母親に告げ口などをする。母親は2人に、もう子どもではないのだから、あまりべたべたしてはいけない、という内容の説教をする。それに民子は2歳上の女。世間体的にもふたりが結ばれるなどとは考えられない。その説教以来、民子は政夫のもとへあまり近づかなくなってしまった。それが原因なのか、政夫は民子を女性として感じるようになる。ある日、2人は少し遠い斉藤家の畑まで、収穫にいくようにと、母親に頼まれる。久しぶりに2人で語らえるので、お弁当を持って楽しみにでかける。道々、野菊が生えている。ふたりとも野菊が好きだ。そして、民子は野菊に似ている、と政夫は言う。このニュアンスを2人は意識し、会話は少なくなる。想いは通じていた。 世間体の悪さから(明治時代なので)、政夫は早めに中学校(いまの高校か)に進学させられる。下宿なので、民子と離れなければならない。政夫は、お見送りにきた民子に想いを込めた手紙を渡す。 長期の休みに家に帰ってきた政夫だが、家には民子はいない。意地の悪い兄嫁の進言により、実家に帰らされたのだ。次の長期休暇に帰ったときには、民子は嫁にいったことを母親に告げられる。 ある日、政夫のもとに電報が届く。急いで家に帰ったところ、民子が死んだことを告げられる。母親は無理に嫁にやったことを後悔しており、取り乱している。民子の気持ちが本心ではないので、半年ほどで離縁され、その後、民子は病気になり死んでしまったのだ。死後、民子が手に持ち、胸に押し寄せていたのもは、政夫の写真と手紙だった。ここにきて、政夫と民子の強い気持ちを知り、皆、すすり泣く。政夫は民子の墓に参る。周りには野菊がたくさん生えている。政夫は7日間通いつめ、民子の墓の周囲一面に野菊を植えた。 可哀想な話ではあります。民子が亡くなったときに、政夫の写真と手紙を抱いていた場面は、思わずぐっときます。昔はたった2歳でも女性が年上だったら、世間体が悪いとされて結婚を反対されたのですね。現在は姉さん女房なんて当たり前の時代ですけど。 明治時代に書かれた本にしては、難しい文体も使わずに読みやすい本です。
3.13(木)読了
<あらすじ> 1880年代のアメリカ。60歳を超えたおばあちゃんのスックと、その遠いいとこで7歳のバディは、毎年11月の終わりにやることがある。それはフルーツケーキを30個作ることだ。そのために2人は、コツコツお金を貯める。お芝居をして少しのお金をもらったり、懸賞コンクールに応募して少しの賞金を獲得したりするのだ。この年は13ドル手元に集まっていた。それをもとにケーキの材料を購入しにいく。手に入りにくくて、一番高いのはウイスキーだ(※悪名高き禁酒法のためと思われる)。密かにウイスキーを売っているお店に行き、2ドルで購入しようとする。小銭をたくさん出して払おうとすると、そこの店員のインディアン(ネイティブアメリカン)は、代金の代わりにケーキを1個届けてくれればいいという。2人はうれしく思った。フルーツは他人の果樹園に落ちているピーカンをこっそり拾ってきた。 今年は31個のフルーツケーキを作った。これらを2人が気に入っている人たちに送るのだ。ローズヴェルト大統領やルーシー牧師夫妻、毎年2回やってくる小柄な包丁研ぎなど、会ったこともないか、ほんのちょっとしか縁がない人たちにだ。2人はこれを毎年おこなっていた。 あまったウイスキーを2人はちょっとだけ飲んで、歌ったり踊ったりして楽しむ。それを知った同居している親族達は、子どもにアルコールを飲ませるなんてとスックに怒る。スックはしょんぼりしてしまう。 気をとり直して、クリスマス用のツリーを切りにいく。大きな木をふうふういいながら2人で運んで、手製の飾りつけをする。スックはバディに自転車のプレゼントをしたかったが、そんな大金はなかった。しかたなく手作りの凧をプレゼントする。バディもスックに凧をプレゼントしたので、2人は大笑いした。 成長したバディは親族の説得で寄宿舎のある学校に入る。スックは1人でも毎年ケーキを作って送る。一番いいのはもちろんバディに送った。数年後、スックの死を電報で知る。 T・カポーティの代表的な小品です。随所に感動できるところがあり、読んでいて目頭が熱くなる人もいると思います。カポーティ自身も寄宿舎の学校に入学させられて、祖母(かどうかはわからないが)と離れ離れにされるという体験があったそうです。その様子を書いているのですね、きっと。この作品はカポーティ自身も自作朗読会においてフェイヴァリット・ストーリーだったそうです。そして枯れの独特の鼻声で語られるこの愛らしくも哀しい物語は多くの聴衆の涙を誘った、ということです。 訳者はカポーティのファンでもある、村上春樹氏です。彼はこの本を折りに触れて読み返したそうです。味わい深い作品です。
3.13(木)読了
<あらすじ> 7大陸の各最高峰を世界最年少の25歳で登頂した野口健さんの登頂記。 外交官を父に持つ野口少年は、父の職務上、幼い頃からさまざまな国で生活をする。やんちゃだった野口さんは寄宿舎のあるイギリスの日本人高等学校へ預けられ、その高校の規律の厳しさに辟易する。勉強にも興味を持てず、落ち込んでいた野口さんを勇気付けたのは一冊の本『青春を山に賭けて』だった。これは日本が世界に誇る山岳家、植村直己さんの山岳記だった。この本に触発された野口さんは山岳クラブに加盟し、わずか半年(高校2年生)でモンブラン登頂に成功する。それからもさまざまな山を攻め、10代で5大陸のピークを攻略することに成功する。そして最後の山は世界最高峰のエベレスト(チベット名チョモランマ、ネパール名サガルマータ)だった。2度の登頂に失敗した野口さんは、万全の体制を敷き3度目の攻略に挑む。支援してくれているソニーも4度目はスポンサーを降りてしまうかもしれないという、まさに背水の陣だった。そしてついにエベレスト登頂を達成する。この瞬間、7大陸最高峰世界最年少登頂、野口健が誕生した。 現在の野口さんは、エベレストの清掃登山隊を組織して活動したり、登山隊をサポートする現地の「シェルパ」という人々のために「シェルパ基金」を設立したりして、さまざまな分野で活躍されています。野口さんはこの本で、人生はさまざまであっていい、人と違う道を進むことを恐れるな、ということを述べておられます。一流の人の言葉には重みがあります。 ノンフィクションならではのリアリティがあり、お勧めの一冊です。 3.11(火)読了
3.10(月)読了
村上春樹氏が自身のHPで書きつづったエッセイ集。 村上氏はレイモンド・カーヴァーが好きなようで、彼についてたくさん書かれています。ジャズは20代に自身がジャズ喫茶を経営していたこともあり、超のつくほど好きなようす。同じCDを2枚も3枚も買うのは当たり前、いつもどこかでジャズCDを購入しているようです。本人いわく「病的」です。 その他はドーナツ好きでもあるようで、よくミスドなどのチェーン店に行ってドーナツを食べるようです。アメリカではダンキンドーナツチェーンでよく食べていたそうです。ミスドでドーナツを食べている村上春樹、みてみたいぞ! どうしたらうまい文章が書けるか? ということを書いています。村上氏の答えはひとつだけ。「とにかく何度でもいいから読み直し、書き直すこと。これしかありません。プロだってアマチュアだって同じです」だそうです。村上氏は書くのはパーっと書いてしまうけど、その後に推敲を10回くらいするそうです。あと、「小説を書くためには、人生経験も語彙もそんなに必要ありません。でも本だけは浴びるほど読まないとだめです。スポーツ選手の『走り込み』と同じです」だそうです。浴びるほどってどれくらいでしょうか?「オレは毎日浴びるほど酒飲んでるゼ!」っていう人は日本酒一升、ウィスキーだったら1本くらいと想像できますが、読書を浴びるほどって?H・ヘッセは生涯で数万冊の本を読んだそうですが、1日1冊で年間365冊。365x×10000 x≒27,4 毎日1冊読んで27年半近くか。これは浴びてる。速読法でも習得しなければ。私はいままでほとんど読書をしてこなかった人間なので(誇張ではありません)、悔い改めて目下集中読書中です。ぺこっ。 巻末にはHPでの読者とのやりとり(メールかもしれない)を掲載しています。ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」がお好きなようで、その話題で盛り上がっています。掲載できなかった内容は、本にCDが付いていて、パソコンでご自由にご覧くださいという趣向です。とても親切な本です。 「スメルジャコフ対織田信長家臣団」という奇妙な題名は、「カラマーゾフの兄弟」のスメルジャコフと、 村上氏の読者の夫がハマッているという織田信長の家臣たちの本、のことと思われます。村上氏が妙な時代劇でも書いたのかと思った。果たしてどちらが面白いか?
3.10(月)読了
ヘルマン・ヘッセが著した、読書法、著述法に関する本。 どんな本を読むか、また読まないか、本の収集法や読書人の分類など多岐にわたって書かれています。 興味深かったのは、ヘッセは新聞をほとんど読まなかったということです。読むとしても、旅先で読むものがなくなったときや、飛行機の中くらいだったそうです。ヘッセいわく、無機質な新聞を毎日1時間かけて読むのなら、その半分の時間を読書に充てれば人はすばらしい教養を得ることができるだろう、ということです。森博嗣氏もそうですが、作家の中には本を読まない人も多いようです。 私の場合、新聞を隅から隅まで読もうとしたら1時間半程度かかります(読むのが遅いです)。1週間で10,5時間分の読書量ということになります。薄い本なら5冊は読めます。分厚い本でも1~2冊は読了でしょう。ヘッセのいわんとすることはわかります。ただ、まったくメディアに無関心というのもどうかと思いますので、紙面の重要そうな記事のみを10~20分程度でつまみ食いするというのはどうでしょう。「総理大臣って誰だっけ?」っていうのもゾッとするので。 あいかわらずヘッセの文章は重厚で気品があります。立花隆を叙情的にしたような感じで、詩的でかつ哲学的な印象を受けます。本の表表紙にはヘッセの写真が貼られていますが、文章と人物写真がみごとにマッチしています。重厚な人には重厚な文章が宿る(といえり)、といったところでしょうか。 |
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