読書日記を感想文的に書き綴っています。「お知らせ」には日々の雑感、興味のある分野を記載しています。
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3.9(日)読了
日常のちょっとしたことを書いたエッセイ集。 群氏の毎月購入した書籍も掲載している。これによると群氏は月30冊程度は新本を購入しているようです。読んだ本はというと、部屋のその辺においておくか古本屋などに売るそうです。「ならなんで古本屋で買わんのや!」とブルジョワジィを嫉むプロレタリアートは叫ぶ。もしかして出版社の経費で落ちるのかな? あっ、法人化して自社の経費ということも……。でも、よく考えたら「無印シリーズ」で膨大な印税収入があるから、新本30冊くらい「へっ!」という感じなのかもしれない。図書館に寄贈しているとも書いているので、世のためにもなっているし。 内容はなんてこともないエッセイかな。本当に日常のちょっとしたことを書いています。まぁそれがエッセイなのかもしれませんが。 『「廣津里香」という生き方』という一遍があるのですが、これはちょっと気になりました。1960年ごろに裕福な家のお嬢様に生まれた里香嬢。頭が良く、有名大学に進学。日本が嫌いで、他人の服装のセンスも見下している。自分は優雅な服をまとい、斜に構えているところがある。留学して外国に行きたいと、フルブライト奨学金を得ようとするが、早大大学院の担当教授の不備で留学できず。親にアパートを借りてもらい、そこで絵画を描いたり、小説などを書いてそちらの道で生きようとする。コーヒーとタバコ、興奮剤など変容意識状態になれるブツを愛する。29歳で死亡。原因は絵画の薬剤を吸い過ぎたためではないかとのこと。 そんな彼女は日記を書いており、死後に出版される。その日記には彼女が他人を、世界をどのようにみていたかが書き連ねられている。簡単にいえば、世間と折り合えないというコンプレックスと自我の肥大化がないまぜとなっている様子が書かれている。29歳のある日記では、死にたい、今年中に死なせてくれ、と書かれていたので、ある種の願望成就だったのではないかという妄想が成り立つ。窓を閉め切って絵画を描き続けたらどうなるかを、頭の良い彼女がわからなかったとは思えないから。 本物は迫力があって怖い。自我の肥大化した彼女なので、日記にしても他人にみられる(出版される)ことを念頭において書かれている気がするので、どこまで本心を書き連ねているのかは疑問ですが。それを除いても、いつか購入して読んでみたいと思いました。 タイトルの「生きる読書」は内容とほとんど関係ありません。 まぁ、よく本を読んでいる人だなと。 PR
3.8(土)読了
1994年春から1995年秋にかけて村上氏が「SINRA」という雑誌に毎月連載していたエッセイ。 連載のあいだ村上氏はマサチューセッツ州ケンブリッジに居を構え、タフツ大学に所属していたようです。アメリカでの滞在のようすがよく書かれています。アメリカで出会った猫、鳥、牛などの動物や風景の写真も本の中に挿入されています。とてもよい感じです。 村上氏は毎年ボストンマラソンに参加していて(現在はわかりませんが)、この本でも2回走っている様子が書かれています。42,195キロを3時間30分くらいで走れるということなので、素晴らしいですね。物書きという職業柄、身体がなまらないようにと、普段から毎日10キロ程度走っているようです。「一に足腰、二に文体」と述べているので、やはり自己管理には気をつかっているようです。頼れるのは自身だけの職業ですからね。 村上氏の文体はとても平易なので、これなら誰でも書けるのではないかと錯覚してしまいますが、実はこれはとても難しいことです。難しい内容を難しい文章で書くのは意外と簡単だと思いますが、平易な文章でさらりと書くのは難しいです。村上氏はそれをいとも簡単に(もちろん、机でうんうんうなっているのでしょうが)書かれているので、すごいことだと思います。そして文章に嫌味なところがない。頭の良い人という印象を受けます。 数年前から村上氏はノーベル文学賞候補のひとりとなっています。イギリスの賭け専門会社のオッズでも2年前は32倍、去年は16倍と評価が上がっているようなので(うる覚えですが)、数年以内に受賞されるかもしれません。著作は各国の言語に訳されて販売されているので、やはり世界でも認められている人なのですね。大江氏以来の文学賞受賞を期待しましょう。
3.7(金)読了
人気作家の村山由佳さんが書いた童話。 <あらすじ> 草食恐竜の夫婦は卵を5つ産み、森の隠れ家で大切に育てていた。順番で卵を温め、食料をとり、赤ちゃんが生まれてくるのを楽しみにしていた。そのかいがあり、5匹のかわいい赤ちゃんが誕生した。しかし、父親は帰ってこない。母親は飲まず食わずで2日間、赤ちゃんのもとにいたが、とうとう父親を探しにいくことにした。泉まで来たとき、白骨化した恐竜の骨が落ちている。無残にもティラノサウルスに食べられた父親だった。悲しみにくれて赤ちゃん恐竜のもとに帰ると、誰もいない。恐竜に丸呑みされてしまったのだった。立ち直れずに痩せていく母親恐竜。ある日、大きな卵をみつける。沼に沈んでしまったティラノサウルスの卵だった。かわいそうに思った母親恐竜は、憎いティラノサウルスの卵だったが、育ててあげることにした。生まれた赤ちゃんをディランと名づけた。 すくすく育っていくディラン。肉食恐竜ではあったが、とても優しい恐竜に成長した。ある日、大きな火の玉のかたまりが海に落ち、地球の温度は急上昇し、草は枯れ、草食動物も死んでいった。母親恐竜も死にかけていた。わたしが死んだらわたしを食べて生き延びなさい、といい母は死ぬ。優しいディランは母を食べるなどとうていできない。他の肉食恐竜がやってきて、ディランの母にかぶりつく。ディランは怒り、はじめて他の恐竜たちと戦い、母親をの遺骸を守る。ディランは何度も何度も戦い、母親を守った。 やがて地球の温度は低下していき、雪が降り積もっていく。もう動いている生物はいない。ディランは最後まで母親を守ったのだ。ディランと母の遺骸を包むように雪は降り積もっていった。 いい話です。童話にはたまに感動する物語があるので、バカにしてはいけない。これは当たりです。 村山由佳さんは「エンジェルズ・エッグ」ですばる新人賞を受賞した方です(だったと思う)。村山さんの他の作品は読んだことがないので、機会があったら読みたいと思います。
3.7(金)読了
エッセイストの群ようことマンガ家の西原理恵子の対談集。 年齢は10歳近く違う両氏だが、案外仲は良いようで話に花が咲いています。内容はそこら辺の場末の酒場でおばちゃん同士がしているバカ話に近い。具体的にいうと、印税を家族に浪費される話や若かりし頃のヤバイ話。印税浪費は額がハンパない。20~30万円はごあいさつ程度。300万のベンツを買ったり、バッグを買ったり、挙句の果てに2900万の土地を勝手に購入されたり……。印税の大半を実の母親に使われているようです。まぁ大きな子ども(といっても70過ぎだが)といったところか。二人の金持ち自慢のような感じもして、読んでいてあまり気分はよくなかった。 若かりし頃の過ちもすごい。西原氏は完璧なヤンキー娘で、シンナー、パッパ、マリファナは当たり前、暇だから万引きetc.etc...あまりにやばくてカットされた話も多かったようです。「田舎で暇だったから」というが、そういう問題ではない。 まぁ~、図書館で貸りて読むのはまだいいが、定価1,200円で買ったら腹立つだろうな。リコール運動起こしたくなるくらい。
3.6(木)読了
<あらすじ> 小さな町のラテン語学校に通う10歳の主人公エーミール・シンクレールは些細な理由で悪童クローマーに脅されてしまう。深く苦しんでいたシンクレールはある日彼の町にやってきたマックス・デミアンに救われる。デミアンは彼にカインとアベルについて、そして二つの世界について語った。そして語られた二つの事は成長後のシンクレールに大きな影響と迷いを与える事となった。 今作品は第一次世界大戦後の1919年に発表され、偽名のエーミール・シンクレール作として出版されました。後にヘッセ作ということが知られ、1920年からはヘッセの名で刊行されるようになります。冒頭こそはシンクレール少年(ヘッセ)の幼少期の物語として語られており、「郷愁」「車輪の下」などと同じように、自身の少年期の憂鬱な体験をベースに書かれているように見えますが、デミアンとの関わり以降はその姿が成りを潜め、自己の追及や精神世界との関わり、というような抽象的な事象を通して物語を紡いでいます。ヘッセのそれまでの作品でみられた抒情詩的な側面は薄れ、むしろ叙事詩として作り上げられています。 旧約聖書のカインとアベルを根底の主題としており、最低限の聖書の素養がないと理解は難しいかもしません。仏教的思想や哲学的命題(特に現象学的)も散りばめられていて、ヘッセ自身の内面の思索的部分を纏め上げて形にした作品といえます。神と悪魔を超越した神アプラクサス、これはヘッセ自身が善悪の事象を纏め上げて止揚(アウフヘーベン)しようと試みた象徴ではないでしょうか。あらゆる事象は中立であり、物事に価値観を与え善悪の判断を下すのは客体の総意(創意)に過ぎない。事象をより高い次元から俯瞰すれば、善悪というあたかも相反するように思える概念も、実は単なる差異が存在しているに過ぎず、それぞれ独立した個性があるに過ぎない、といったところでしょうか。事象は超然としてただ存在しているということです。これは仏教思想、特に法華経やフッサールの現象学に通ずるところがあり、論理的整合性を重んじている点は、いかにもドイツ作家といった感があります。 思想や細かい論理に興味の無い人には読みにくい本かもしれません。一読して「あっ、自分にはあわない……」と思ったら無理に読まないほうがいいでしょう。眠れない夜には効果抜群かもしれませんが。 最後に、デミアンは怖いです。道を歩いていたら、いつの間にかスッと後ろに立ち、「やぁ」と語りかけてきます。もう少しでホラー小説になります。神秘的少年のホラー。筒井康隆に書かせたらものすごく怖そう。「ケケケケケケケ」とか言ってデミアンが走り去ったら怖い。絶対、夢にでる。
3.6(木)読了
ショートショート集。小ネタ集といってもいい。 1つのネタが2~3行意から1000文字程度の長さで完結している。ちょっとした時間つぶしにはいい感じの本。オチはあるような無いような、あっても面白くなかったりもする。深く考えずにさらりと読み進めるのが吉。欧米ではこの手の本が多数あると聞いたことがあります。たいていはブラックユーモアで挿絵が入っているようです。星新一氏が「進化した猿たち」という文庫本でアメリカの挿絵を紹介しています。星氏もこの手の作品が好きだったようです。 筒井氏の他の本で、「『天狗の落とし文』は夢からアイデアを持ってきた」と書かれていた記憶があります。すべてではないにせよ、いくつかの作品の大ネタは筒井氏の夢をリメイクしたもののようです。筒井氏は他の本でも夢からアイデアを膨らませたものがあると述べていました。芸術家にとって夢は宝庫なのかもしれません。数学の世界でもベンゼンやラマヌジャンが夢から解法を発見したのは有名です。夢って不思議ですね。
3.3(月)読了
東海林さだおと椎名誠の対談集。 「生ビール、うぐうぐしたいですよね」から始まった対談がそのままタイトルになったもの。ビールの限らず、食と女とアルコールの話ばかりしています。12回に渡って企画された対談のようで、そのたびに違う場所で飲み食いするという、なんともおいしい対談。あるときは居酒屋で、あるときは屋形船、高級料亭、すっぽん店など、出版元の文藝春秋持ちだから高い店にいくぞ! という下心丸見えのご両者です。対談内容は、まぁ、酒屋で酔客がやっているのに毛が生えたような、下々の話が多数取り寄せられております。東海林さんといえば、食べ物に関する分厚い本を出していると聞いたことがありますが、読みたいと思いつつまだ読んでいません。なんでも、電話帳のようにぶ厚いとか。京極夏彦の「姑獲鳥の夏」とどちらが厚いだろうか。いつかは読破したいものです。 それにしても、酔客の戯れ話が本となり、著者(話者か?)の名前で購入する人がおり、出版社は儲かる。金がかからず高視聴率が期待できる料理番組のようだ。でも、ほんとに対談しているのか疑問になってきた。実は「対談ゴーストライター」なる人物がいて、「今日は有栖川有栖と森博嗣、明日は綾辻行人と小野不由美(夫婦か)、あさっては~、立花隆と綿矢りさにしよう♪(←みてみたい)」などと適当に自分の脳内対談をライティングしているのではなかろうか。それはそれですごいな。著作権は本人の死後50年だっけ? 戦後に自殺した文豪同士の対談なんて面白いかもしれんな。小説の新たなジャンルになるかもしれないな。
3.2(日)読了
中島らも氏の事務所で飼育している「とらちゃん」というトラ猫の日常を描いた本。 とらちゃんはらも氏が黒門市場という大阪で有名な市場で三千円で購入してきた雑種のトラ猫。ちなみに黒門市場にはフグとかスッポンとかカエルとか、奇妙な食材を多数売っているもようですが、なぜ猫が売りに出されていたのかは不明です。食べ…みなまで言うまい。 本にはとらちゃんの写真が多数載せられていて、みているだけで癒されます。本書内でとらちゃんにマジックマッシュルーム(当時は合法ドラッグ、現在は違法だと思う)を食べさせてふらふらになった記述がありましたが(このネタは「アマニタ・パンセリナ」でも使われている)、100パーセント確実に動物保護団体等からクレームがあったと思う。らも氏の本はクレームのオンパレードなのでは? それだけ差別用語やヤバイネタが多数使用されています。欧州ではこの手のブラックジョークはかなり使われていて、日本ほど言葉狩りも厳しくないというのを聞いたことがあります。日本は進んでいるのだか、遅れているのだか。中島らも、筒井康隆、小林よしのりの3氏はポリシィを持って言葉狩りに立ち向かっている気がします。気迫を感じるので、割と好きです。 実は中島らもは何度も直木賞候補になり、最終選考で落選しています。やはり才能はある。 らも氏、本当に惜しい人を亡くしたものよ。
3.2(日)読了
<あらすじ> 68歳の主人公、小歩危ルカ(中島らもの分身)。十数年前に「死ぬまで踊れ」という小説を書き、350万部を売り上げて数億円の印税を受け取る。子どもが自立した後に奥さんに逃げられ、自宅を1億円で売却し、現在はホテル住まい。普段はテレビ出演を断っているのだが、昔の友人の頼みでNHKに出演し(徹子の部屋をもじった番組)、放送禁止用語を連発する。トーク役としてレギュラー出演している19歳の少女「クク」は大笑いして、賛同する。当然、多数のマスメディアから苦情とともに、ルカの宿泊しているホテルに取材申し込みが殺到する。酒場で出会った50代のミュージシャンのもとに避難。5日間過ごして帰る。 タイトルのロカとは、ルカ老人が購入した18弦のギターのこと。ルカはいつもこのギターを持ち運んで、作曲し、ときには路上で弾き語りなども行っていた。ロカは酒と薬物が欠かせない俗物中毒者でもあった。クク少女と外食をして、ロカは少女のことが好きになる。そしてロカはククをデートに誘う。夕方5時に雷門で待ち合わせだが、したくをしていて現在は4時半過ぎ。いそいで金庫から30万円ほど取り出し(何に必要かは不明)、無理やり財布に入れてタクシー乗り場まで急ぐ。そのとき、通りかかった警察から職務質問を受ける。「こんな時に。よりにもよって職質(不審尋問)かよ!」 上記の一文の後、らも氏は飲食店の階段からすっころんで逝去。よって、この作品は未完で終える。南無。手塚治虫の「ネオ・ファウスト」「ルートヴィヒ」も氏の死去により未完だが、こうなってくると続きが気になってしまう。思わず勝手に続きを書いてやろうかと畏れ多いことを考えてしまう。しかし、惜しい人を亡くしたものだ。 3.4(土)読了 |
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