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読書日記を感想文的に書き綴っています。「お知らせ」には日々の雑感、興味のある分野を記載しています。
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3.25(水)読了
貴志祐介先生、初の本格ミステリィ。日本推理作家協会賞受賞作。

<あらすじ>
密室の社長室で(株)ベイリーフの社長が殺害される。現場は密室であり、ビルには多数の防犯装置が設置されている。社長室内のガラステーブルには社長の血痕がついているが、その場所に後頭部を打ちつけることは、角度的にありえない。室内には介護用ロボットの試作品、ルピナルVがあるが、他に怪しいところは見当たらない。ベイリーフは株式公開をひかえており、IR活動の一環として、ルピナスVを出資者公開していた。その他、研究所と共同開発として、人のいうことをきく「介護ザル」の育成もおこなっている。
容疑は専務の久永にかかり、容疑者扱いとなる。ベイリーフ社専務の弁護人になった女弁護士、青砥純子は、防犯コンサルタント(実は泥棒?)の榎本径に協力を依頼し、2人で犯行を究明にかかる。さまざまな仮説をもとに犯人を捜すが、うまくいかない。最終的には榎本の稲妻のような閃きで犯行を特定する。犯人はビルの窓掃除の青年。彼は父親の先物取引の失敗で、暴力団に追われている身だ。住所や名前も他人名義のものを取得し、大阪から東京に出てきて、人目をはばかりながら生活している。ベイリーフの社長室の窓を掃除しているときに、社長がダイヤを大事そうに眺めているを発見。ダイヤは合計で約6億円の代物だ。なんとかダイヤを手に入れて、現状から脱却したい。綿密な計画を立てて社長室に忍び込み、ダイヤのありか(ルピナスVを使いでキャビネットを持ち上げ、下面に隠し扉がある)を発見する。後顧の憂いをなくすため、社長を殺害を計画。コーヒー好きの社長なので、角砂糖の中に場ルビツール系の睡眠導入薬を入れ、飲ませる。窓掃除のふりをして、自作プロポを使用し、社長室の窓の外からルピナスVを動かし、社長を窓面に運ぶ。頭と窓を密着されて、窓越しにボーリングの玉で一撃する。窓は強化ガラスで割れないが、社長の頭は解頭手術の後なので、破壊される。
以上の犯行を天才的頭脳で発見した榎本。青砥の説得もあり、青年は自首をする。青砥は青年の弁護人となる。事件後、ダイヤが数個なくなっている。榎本だ。彼はとぼけた調子でいて、そして青砥を食事に誘う。「事件が解決したら、夕食を奢ってくれる約束だろう?」

以上、ネタばれ式あらすじでした。おもしろいのですが、いくつか謎も残ります。冒頭部で出てきた「介護ザル」の存在や、社長の遺体発見時の副社長の行動などです。途中から話題にのぼらなくなり、中途半端に消滅してしまいました。あとは、榎本が青砥に好意を寄せる過程もほとんど触れられていません。もう少し複線が欲しかった。トリックも、それだけみたら「ふーん」といった感じです。スッキリ感がいまいち。

悪い点ばかり書いてしまいましたが、全体的にみると佳作です。そして筆力はさすがだと思います。貴志氏の作品は、『13番目の人格―ISORA―』(第3回日本ホラー小説大賞長編賞佳作)をみたときから、「おっ、この人は……」と思っていましたが、『黒い家』で第4回の上述の賞の大賞を受賞されました。やはり、といった感じです。それ以後も、ホラーを書かれていて、『青の炎』で初の倒叙推理小説を発表し、映画化もされました。
今作で本格推理小説を発表されたのですが、個人的には、今回の作品はいまいちかな、と思いました。くどいようですが、佳作であることは間違いありません。あくまで個人の好みです。

今年に入って、初のSF小説(1800ページの大作)を発表されたみたいですが、それも早く読みたいと思います。この人の書く小説は、いままでのところすべて当たりです。作家ランキング(管理人の)ではベストファイブに入ります。
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3.25(火)読了
2000年3月~2001年3月でも、「anan」で連載された村上氏のエッセイ集。
1回が800~1200文字とかなり短いエッセイが50編収録されています。読んでいて感じたのですが、村上氏の文章はとても女性受けするのではないかと思います。非常に軽いタッチで、あまりひっかかりがなく、すらすら読めるのが理由だと思います。こういう分析読みを穿った読み方というのでしょうか。

あと書きに書かれていたのですが、「anan」の読者は20代前後の女性が多いので、どのようなことを書けばいいのか、ちょっと迷ったらしいです。結局、自分の興味のあることを書いたそうですが、書くにあたっての取り決めとして、「安易な決めつけをしない」「正誤(善悪)の押し付けはしない」ということを意識したそうです。書いている本人が知っていることでも、読者が知っているとは限らない。正しい、正しくないの判断基準は、客観に負っているというのが理由だそうです。それはそうですよね。畳屋の倅は当然のように畳の作り方を知っている。でも、それ以外の人はほとんど知りませんよね。この辺は育った環境によるところが多いと思います。これに類することは日常でたくさんあるので、謙虚にしないといけませんね(非常に話し口調です)。

3.24(月)読了
紛争ジャーナリストの佐藤氏の取材記録。
佐藤氏はアフガニスタンでビデオカメラを含むすべての荷物を奪われます。それまでの1ヶ月に及ぶ取材記録を失ったことを契機に、映像がダメなら活字で、と思い書いたのが本書。戦場でも人間はメシを食う、ということで、紛争地帯の兵士や住民の食生活に焦点をあてて書かれています。
アフガニスタン、サラエボ、アルバニア、チェチェン、アチェ、イラクなど、現在も紛争が継続している地域を多数訪れ、取材を敢行しています。イラクにはイラク戦争が勃発した時にバグダッドで取材を行っている。さらに、復興での自衛隊の活動なども取材している。それによると、現地の人たちの生の声は、自衛隊は米兵に比べると礼儀正しく活動しているが、兵舎に篭りっきりで、実際に人々のためになる活動はしていないということです。自衛隊も制約が多いので、仕方がないのかもしれません。

いまだ紛争は各地で続いていますが、いつかは終息に向かうことを願います。
3.23(日)読了
小児ガンに冒されている9歳の子どもへの、キューブラー・ロスの返事の手紙。
余命3ヶ月と宣告された小児ガンを患っているダギーは、周りの大人が死についてなにも教えてくれないので、医学博士のキューブラー・ロスに手紙を書きます。それは、命とはなにか、死とはなにか、そしてなぜ子どもが死ななければならないか、という内容のものです。ロスは非常に心をうたれ、娘のフェルトペンを使い、簡単な言葉にカラフルなイラストをそえて、ダギーへの返事を書きました。

子どもにもわかる平易な文章で、人間はなぜ生きるか、なぜ死ぬか、死とはどういうことか、ということが書かれています。どのような状況にあろうとも、神様はすべてを知り、無条件の愛を送ってくれています。なぜならば神とは愛の名だからです。神は愛しか知りません。神は差別をしません。神はすべてを知っています。すべての子どもを大切に思っています。だから、人生には偶然というものはありません。

本には英語の原文も書かれていて、とても平易な文章なので、こちらで読んでもいいと思います。ロスのカラフルなイラストもとても美しいです。
余命3ヶ月の宣告を受けたダギーは、医者の予想を大幅にくつがえし、13歳まで生き永らえました。

キューブラー・ロスは「On Death and Dying(死の瞬間)」という本を出して、その業績が世界的に認められた医学博士です。また、彼女は、アメリカ・ホスピス運動の思想的な指導者として、また死の神秘をさぐるひとつの試み、「臨死体験」研究のパイオニアとしても活躍されています。
3.23(日)読了
大学教授で精神科医の、小田晋氏のうつに関する本。
うつについての基本的な情報や心構え、周囲の人の対処法などが書かれています。文字も普通の本より大きく、行間も広くとってあるため、うつ状態の人や老眼が入っている方にも読みやすくなっています。とても親切な配慮と思います。

うつになりやすい時期というものがあって、春先と秋口がそれだそうです。
人間はストレスを受けると、コルチゾンというホルモンを放出しますが、春先と秋口にはコルチゾンレベルが高くなるそうです。その結果、鬱になりやすくなります。また、気圧が鬱に関係しているという話を聞いたことがありますが、これは日照の多寡のことをいっているのでしょうか? 日照時間の少なくなる時期にかかりやすい「季節性うつ病」というのがありますが、日照も鬱と関係しています。その場合の治療法には、高照度光療法というものがあります。これは非常に明るい蛍光灯の光を毎日1時間浴びるというものです。ホルモン関係を治療する方法ですね。ドイツという国はほぼ1年中曇っていて、晴れている日がほとんどない、天候に関しては陰鬱な国です。それと関係があるのか、ドイツ人の国民性は真面目で、言葉がわるいですが、若干の陰鬱傾向が見受けられます。その逆はイタリアです。地中海地方特有の圧倒的な太陽の日差しの下、あのような陽気な国民性ができあがりました。好対照な2国ですね。

鬱状態の人に対してタブーなのは、「頑張れ」という言葉です。鬱になっている人は、車に例えるとガス欠の状態にあり、頑張りたくても頑張れないのです。もともと真面目で責任感のある人が罹患しやすい病気なので、励ましは逆効果になります。鬱になったら、本人は充分な休養と睡眠を、周りの人は温かい目でみてあげることが大切です。また、鬱状態の人は自殺を図る危険性があります。鬱のどん底に入っている人は、自殺をする気力もなく、ただ横たわっているだけのことが多いですが、危険なのは鬱に罹ったばかりの人や、治りかけの人です。これらの人は、鬱ではあるが、まだガソリンが残っている状態の人といえます。その状態の人は自殺をする気力がまだあるので、実行してしまう人も出てくるのです。そのような状態になったら、速やかに病院に行き、医師の適切な治療や意見を仰ぐことをお勧めします。

鬱は服薬やその他の治療で、確実に良くなる病気です。もし、鬱かな? と思ったら、精神科や心療内科で相談するのが吉です。
日本にはまだ、精神関係の病気に対して根強い偏見があります。しかし、欧米では精神科やカウンセリングにかかることは、一種のステータスとさえなっています。日本もそのようになればいいなと思います。
3.21(金)読了
<あらすじ>
嵐の晩、一匹の子ネコが彷徨っている。森で迷ったのだ。ネコの名前はシャルダン。父親を憎み、探し出して仕返しをしようと旅をしている。朝になって、森の中のペンションにたどりつく。そこにはネコのタマとミケがいた。シャルダンは食事をもらい、旅をしていることを言う。タマは一緒に旅をしてあげるといい、ミケもしかたなくついていくことにする。いつも自分勝手なタマにミケは不満を持っていた。タマと離れる方がいいかもしれないと思い、今回の旅でそれをじっくり考えることにする。
旅の途中、キツネのスターン、宇宙の騎士と呼ばれているクランツというネコと出会い、ともに旅をすることになる。クランツはいつも「汝、幸か不幸か」と問いかける変わったネコだ。昔、クランツは怖いもの知らずで、嫁さんを連れて森を冒険している途中に、嫁さんが犬に襲われて殺されてしまうという目にあっている。それから、そのようになってしまったらしい。クランツにシャルダンは不幸だと言われる。怒りをもっているからだ。
迷いの森を抜ける一歩手前で、シャルダンは犬に襲われる。瞬間、クランツが犬に飛び掛り、激しい戦いになる。犬は去っていったが、クランツは傷だらけになる。シャルダンに、怒りをなくし、強くなくてもいいから、やさしいネコでいなさい、と言い、クランツは死ぬ。クランツを埋め、その夜はクランツの話をしながら眠りに入った。
翌日、無事に迷いの森を抜けた4匹だった。シャルダンは父親を憎んで旅をすることがバカらしく思い、みんなにそのことを告げる。みんなそれを嬉しそうに聞く。そして、4匹は自分達が来た印として、布を木に巻きつけて旗を作り、掲げる。ミケはタマとの楽しい日々に思い至り、これからもタマと一緒にいようと思う。シャルダンは多くの動物と出会う旅に出発し、スターンも戻る。タマとミケも家に帰っていった。
時は流れた。嵐の夜。森の中。激しい風雨に逆らい、一匹の立派なネコがタマとミケに会うために、その場所へ戻ってきた。あの時のように、彼らはきっといるだろう。

それぞれのネコの生きる道、生きる理由を巡っての旅の物語。
なんのために生きるのか、どうすれば幸せになれるのか、ということが、それぞれのネコたちの性格や、決断から見て取ることができます。怒りにかられて復讐に燃える者、後悔の念を抱き生きる者、楽天的に日々を暮らす者、生き方はそれぞれの自由ですが、より幸せになる生き方というものがあると、本書では説いているようです。作中ではシャルダンを救うため、犬に殺されたクランツも、過去の後悔を払拭して死んでいったのではないでしょうか。その意味では、本望ではなかったかと思います。死して屍拾う者有り、だったのですから。

てもポジティブで、前向きな物語です。ラストも良い感じで終わっています。読後感、良。
3.20(木)読了
タイトル通り、小説の書き方や新人賞の通り方(か?)が書かれています。
この手の本はほとんど読んだことがないのですが、とてもおもしろいです。例として、小説を書くのに特に大事なのは、「視点」だそうです。
新人賞の予選委員は、①視点が定まっているか②心理描写③情景描写の3点を一番最初にみて(パラパラめくって)、読むに値する作品かどうかの目安をつけるのだそうです。パラパラめくって、わずか20~30秒で駄作の烙印を押された作品は、斜め読みなどをされ、適当に扱われます。OKの作品は、おもむろに最初のページから、とりあえずは読んでくれます。

「視点」。まずはその作品が1人称か3人称かなど。特殊なものに神の視点。3人称の場合、作品のその時点では誰の視点であるか? 主人公の視点か、サブキャラの視点かなど。例を挙げると、主人公Aの視点で書いているのに、「Bは力いっぱいボールを投げた」という文章を書いてしまったら、致命的です。なぜAはBが「力いっぱい」ボールを投げたとわかるのでしょうか? わかりませんね。この1文だけで、素人ということがわかっていまいます、と書かれています。
神の視点というのは、簡単にいえばカメラアングルだそうです。登場人物目線ではなくて、物語全体を観ている視点。映画目線、夢目線、客観的目線のことです。「この行為が5年後、人生をおもわぬ方向に導くとは、沙耶は予想もしなかった」というのも神の視点です。難しい。

その他、小説を書きたいと思っている人、書いている人にも、参考になることがたくさん書かれています。作家の頭の中を見透かせるような気がして、こういう本は好きです。本を書く人の「視点」から読書をするのも、また面白いと思います。
3.19(水)読了
村上朝日堂シリーズのおそらく第一作。
1983年~1988年の5年間のことをエッセイにしています。新しいものから古い方へ、村上氏のエッセイを読んでいったのですが(意図はない)、やはり、初期のエッセイということもあるのか、文章に若干、力が入っているような気がします。リキみ過ぎかな、という意味です。漫画家の場合は、最初の方はディティールがびしっと描かれているけど、5年、10年と連載を重ねていくうちに、だんだんシンプルになっていき、よりよい画になることが多いと聞いたことがあります。「こち亀」や「ゴルゴ13」などですね。「シティーハンター」もそうだったかなぁ。でも「ドラゴンボール」はあまり画が変わらなかった気がする。鳥山明の画風はアラレちゃんで固まったのかなぁ。「パタリロ」全巻一気読みしたいなぁ……。

閑話休題。村上氏の群像新人賞を獲った作品、「風の歌を聴け」を探しています。図書館にはありません(なにゆえ)。古本屋で105円であれば買うのですが、なぜか300円くらいします。それを読んだら「羊をめぐる冒険」「1973年のピンボール」と、ちゃんと時代を追って読みたいのに、最初の作品が無い無い無い。忘れた頃に手に入る、ということで気長に待とうと思います。
3.19(水)読了
医学博士の森昭雄のゲーム脳に関する著書。
脳波のうちα派よりβ派の方が低下する状態を「ゲーム脳」と名付ける。コンピュータをはじめとした、ブラウン管やブラウザに長時間接する人々の脳は「ゲーム脳」となり、痴呆の人の脳波と酷似しているとのこと。特に、精神活動をしたり、計算、思考に関する前頭前野(げ特に右脳)の働きが痴呆の人と酷似してしまうそうです。写真つきで脳波を計測したものが公開されていますが、テレビ、パソコン、ケータイメール、ゲーム、(紙の)漫画を読むことなどはいずれも脳がほとんど活性化されません。漫画を読む、などは脳の動きはほぼ皆無です。「読むのではなく眺めるといった感じでしょう、その証拠に、視覚に関する脳の後頭部がほんの少しだけ働きます。漫画ばかり読んでたらバカになるよ!」というのは、あながち間違いではないようです。テレビもしかり。パソコン、ゲーム、テレビなどを毎日長時間みる人は、漫画もたくさん読む(活字本をあまり読まない)というデータもあります。ゲーム脳の人は集中力が低下するので、活字を読むのが億劫になるのですね。単に漫画好きという理由もあるでしょうが。

ゲーム脳になると、精神活動は低下し、最悪、会話の成立が困難にさえなります。一日中ぼーっとした状態になり、記憶力は低下し(痴呆状態)、仕事や学業は困難となり、キレやすくなり、笑顔がなくなり、能面面になります。あれ、これってうつ状態と似ているのでは?長時間ゲームをしていたら鬱になる。うん、ありうる。
幼い子に、子守唄代わりにテレビを見させるのは、最悪です。2週間の入院期間にずっとテレビを見せていたら、話せていた子が話せなくなったという事例もあります。脳に悪いのです。

ゲーム脳を改善させる方法をいくつか提示されています。
一番良いのはテレビ、ゲーム、パソコンなどをやめることですが、これは現代ではなかなか難しいでしょう。まずこれらを少なくしましょう。それ以外は、

1.紙の本の読書・・・毎日、30分以上は読書をすること。ゲーム脳の人は集中力が低下しているので、難しい
かもしれませんが、頑張って続けること。

2.音楽を聴く・・・特にノリが良く、リズムがはっきりしていて、テンポが速い曲。F分の1のゆらぎの曲などは、脳がリラックスするだけで、活性化にはあまり意味がありません。ロックなどどうでしょう?

3.全身を動かす運動・・・散歩、ジョギング、自転車こぎなどを1日30分以上。β派が増加し、快感物質のセロトニンも放出されます。

4.お手玉・・・3つ以上のお手玉を毎日5分以上する。集中力が必要な作業なので、脳がフル回転します。前頭前野もしかりです。最強の方法らしいです。バリエーションとしては、集中力が必要な作業、コインを重ねたりなどです、がいいです。ベータ派がうなぎのぼりします。ちなみに、お手玉してる姿をイメージするだけでも、脳はかなり活性化されます。時間が無いときはその方法で。

さらに、コンピュータ(ブラウザ)関係は画面の光がが強すぎるのも、脳が活性化されない原因ではといわれています。目と脳に優しくないのですね。電子ブックを読んでも脳は活性化されません。
せめてもの対策として、サングラスをかけてパソコンをするというのはどうでしょう。たったいま、実践中です。確かに楽なような気がする。特に夜はこの方法で、脳を守ろう。保護シートのようなものは売っていないのかな(←ホームセンターで2000円でありました!)。今度、ダイソーで探してみよう。

ちなみにこのゲーム脳、反説が出るのは世の常であり、他の本ではあまり心配することはないと書いていました。うーん、実際のところはどうなのでしょうか?
3.18(火)読了
森博嗣氏のMシリーズ第1作目。5つの短編からなっています。
N大学工学部の水柿助教授の日常的なミステリィを描いています。ちなみに水柿助教授≒森博嗣であることは言うまでもありません。最初の1作品だけは、それなりにミステリィをしていますが、それ以降は、うーむ、エッセイ集に近いような感じです。そう、ほぼエッセイとして読んだほうがいい。
特徴的なことは、ミステリィを書く上でのヒントなどがいろいろ書かれていることです。トリックの種類や作り方、複線の貼り方などがちょこちょこ書かれていて面白い。森氏もわりとすらすら書けた作品では、と思います。この人、ものすごい早筆だから、1週間くらいで書き上げたのでは。1時間に原稿用紙20枚くらい書くみたいですよ。日記書くのと同じスピードだ。

森氏の特徴として、棒音(「ー」←これね)を使わずに半音のイ(「ィ」←これね)を使用するというのがあります(ミステリィなど)。これは文章の使用法の原則というものがあって、それに忠実に従ったら、「ー」ではなく「ィ」を使うのが正しい、とのことです。それ以外の単語ではあえて最後に「ー」を使わない。スーパーはスーパ。シーソーはシーソ。では沖縄のシーサーは? シーサ…わかりずらいなぁ。
工学博士らしい発想というか、非常にシステマティックです。

数年後には小説の執筆を辞めることを宣言されているそうですが、実はそれ自体がミステリィであって、あっと驚くことをされるのではないか、と期待もしています。


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