忍者ブログ
読書日記を感想文的に書き綴っています。「お知らせ」には日々の雑感、興味のある分野を記載しています。
[89] [90] [91] [92] [93] [94] [95] [96] [97] [98] [99]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

8.5(火)読了
貴志祐介の第三作目。書き下ろし。二回目。
リストラされた男。気が付いたら荒涼とした大地に倒れていた。なぜこうなったのかは、記憶が無い。
小型ゲーム機には、「火星へようこそ」という文字。同じような境遇の、記憶を消された男女が9人。この9人で、生死を賭けたサバイバルが始める。

設定はかなりベタですが、内容は面白い。ようは、人工物のない場所で、少しの武器や食料、情報が渡され、最後まで生き残ったものが勝利するという、サムワンゲーム。『バトルロワイアル』のような感じといえばわかりやすいかな。

作中のゲームブックが、良い味をだしています。昔、流行りましたよね、ゲームブック。本をぱらぱらめくって、右上のサイコロの目だけページを進むやつ。最近あまりみないけど、またブームがこないかな。

ラストの火災はあまり気に入らない。ご都合主義というか、そんなことありえなーよ! ってな感じがプンプン臭ってくる。もうちょっと上手く考えられなかったのだろうか……。他が良いだけに、ほんの少し残念。

とはいえ、全体的にまとまっていて面白い。こういうのは好きです。
ラストは、読む人によって評価がわかれるところかな。貴志作品としては珍しく、叙情的なオチです。
『青い炎』も叙情的といえばそうだけど、より幽幻的です。ソースよりも醤油が好きな人にお勧めです(笑)


PR
8.3(日)読了
江原さんが初期に書いた本。おそらく、2冊目に書かれた本だと思います。
霊的なことに対する総論と、彼に寄せられた相談からチョイスした各論から成り立っています。
人間は何のために生まれてきて、
何をなすべきかということを主題にしています。
簡単にいうと、愛を学ぶため。これに尽きるのですね。

簡単に「愛」と書くと、なんとなくこそばゆい感じがしますけど、愛には2つあると思います。
他人のため、社会のためを思っての行動である「大我の愛」と、打算的な「小我の愛」です。
大我の愛の典型は、マザー・テレサやガンジーなどでしょうか。見返りを求めずに、他人のために尽くす、普通の人にはなかなかできないことなので、時代が変わっても語り継がれています。
小我の愛とは、計算・打算の結果におこなう、見せ掛けの愛です。これはたとえば、三高の彼氏がほしい、とか、私がこれだけのことをしたのだから、あなたも私にこれこれをして、などということです。見返りを求めての行動ですね。

とはいえ、世の中ある程度は、ギブ・アンド・テイクだと思います。
テレサのようになれるのは、本当に神様のような人だと思います。普通の人にはまず無理。ストレスがたまって3日でダウンしてしまうでしょう。
無理は禁物。人間はそれぞれ器というものがあるので、自分のできる範囲で相手のことを思いやるという心がけが大切だと思います。

7.27(日)読了
直木賞受賞作。

50ページほどの短編が5つ収録されています。
精神科医、伊良部一郎が独自の治療法で患者を立ち直らせるという話。ちなみにこの伊良部医師、注射が大好きです。注射フェチです。看護婦に注射させる場面で、はあはあと荒い息を吐きます。変態です。

伊良部医師の変態ぶりがユーモラスでおもしろい。患者の職業も、サーカス団員、やくざ屋さん、医師、プロ野球選手、女流作家などと個性的。
大衆文学でおもしろい作品って、最近あまり見たことがありませんが、この本はおもしろい。
奇跡的に5作品すべてがおもしろい。直木賞受賞もうなずける。おすすめです。他の作品も読んでみよう。

それにしても……この伊良部医師、高校時代の友達に雰囲気がよく似ている。百キロを超す立派なメタボ体系。そして明るい変態……Aくん。
Aくん、キミはギターが上手かったよね。ギターケースにいつも鍵を掛けていて、決してケースをあけてくれなかったよね。僕は知っている。ケース内には、エロ本がぎっしり詰まっていたことを(笑)

7.25(金)読了
吉本隆明と吉本ばななの親子対談。
主に、ばななの作品や考え方を、親父さんであり批評家である隆明氏が聞くという形をとっている。

吉本ばななの作品は、たぶん高校生くらいのころに読みました。
『キッチン』『TUGUMI』『アムリタ』『白河夜船』『N・P』など有名なものを読んだのかな。
感想としては、読みやすくておもしろかった。それと同時に、強烈にネガティブなエネルギーを感じたのを覚えています。なぜだろう? そんなに暗い話ではなかったと思うけど。

ずーっとわたしの中では、吉本ばななの作品は、すっごく暗いという印象で定着しています。
なんというか、文字一つ一つが暗いエネルギーでできているというか、それが寄り集まって作品が完成されているというか……。ものすごく独特な人間なんだろうなぁと思っていました。

この対談本を読んで、わたしの考えは間違っていないことが判明しました。
いや~。ばななさんって個性的。いろいろな意味で。
こういう人とは友達になれるだろうか? 一瞬考えてしまった。ものすごく仲が良くなるか、まったく合わないかのどちらかなんだろうな。達観しているような感じで。

新幹線乗って恋人に牛丼持ってった女の話を書いてたっけ。真夜中に。すごくどうでもいいような話なんだけど、なぜかそれが小説になっている。エッセイを長くしたような感じかな。
題名なんだったかな? たしか、何かの賞を受賞してたと思う。
うーむ、これはもう一度バナナ作品を読み直さないといけないな。

現在は「よしもとばなな」なんですよね。うわっ、全部ひらがなだ! うーん、個性的。
ミステリ本なんかじゃ、締まらないだろうなぁ、「よしもとばなな」。でもなんか好き。
7.22(火)読了
キューバ人の老漁師が小船に乗って遠洋。三日間かけて巨大なカジキマグロを捕獲する話。

有名な『老人と海』ですが、実際に読むのは初めてです。
イメージでは、「白髭の生えた老人がパイプをくゆらせ、昔のことを考えながら港の波止場から海を眺めている」というジジ臭いお話だと思っていました。
が、実際はまったく違う、実にワイルドなお話。

七十は過ぎたであろう(イメージ)老人が、水だけで三日間、巨大マグロと格闘する。しかも、ずっと大縄を身体で支えてですよ! つまり、ほとんど寝ていない、これはすごい。
食料は、片手間で(大縄を持っているので、文字通り”片手間”)釣り上げたシイラなどの魚。それをナイフでぶつ切りにして、刺身のように生で食べる。海草についていた小エビも食べる。お水をすする。超ヘビィでワイルドなお爺ちゃんです。好々爺ですね。

根気勝ちのような気もしますが、三日目にしてようやく捕獲に成功。小船には到底乗せられない巨大さなので、船のともに縛りつけて、意気揚々と凱旋帰国、と思いきや、傷つき血を流しているマグロに多数のサメが喰らいかかる。

ここで喰われては、何のための三日間! こなちくしょう! とばかりに、老人は棍棒やナイフで応戦します。そして、何匹もの大きなサメを退治しています。『JAOWS』(スペル違う?)顔負け。すごすぎる。

四日目にしてようやくハバナ港が見えてきます。マグロはサメに喰われて、半分ほどに減ってしまいました。意気消沈の老人。そこに、サメの数匹が喰らいかかる。
さあ、大変。どうしよう、もう武器が無いぞ! 老人は手にしていたオールで戦います。サメをぶっ叩き、突き刺し、あれよあれよと全滅させてしまう! 信じられないパワフルお爺ちゃんなのです!

残念なことに、あれほど肉づきのよかったマグロは、いまや皮と骨のみ……。打ちひしがれた老人は、おこぼれを預かるように群がってくるサメに目もくれず、一路ハバナ港を目指します。
深夜に帰り着いた老人は、フラフラの足どりで部屋に戻ります。

記念に背びれはコーヒーショップに、長いくちばしは少年にあげたとさ。

いやー、すごい。延々とマグロと戦っているので、いろいろな意味ではらはらしてしまいした。このまま進展がなかったらどうしようと。
読めばわかりますが、本当に延々と、延々と、延々と戦っています。

森博氏が「『かもめのジョナサン』と同様、なんの変化もなくてすごい」と言っていましたが、なるほど、そういうことか。謎は氷解した。

とはいえ、好きな人には好きな作品でしょう。裏返せば、嫌いな人は「ケッ!」と言って、10数ページで投げ出して、永遠に本棚の肥やしかブックオフ行きでしょう。
それほど人を選ぶ作品、一読するのもおもしろいかも。

7.16(水)読了
村上春樹の2作目の本。
1970年前後の風景を描いた作品です。3フリッパーのスペースシップというピンボールに明けくれた「僕」。女の温もりに沈んだ「鼠」。そんな二人の視点から、物語を紡いでいます。

村上春樹の魅力といえば、一も二もなく、自由で豊かな比喩にあります。既成概念にとらわれない比喩、平易な文章で書かれていてもなお、心に風景が浮かんできます。
比喩というと、カチッとしたものを書かないといけないというふうに思ってしまいますが、彼のは本当に自由そのものです。奔放です。すばらしいです。

自由かぁ……自由だなぁ。本当にそんな感じの文章。うーむ、才能だぁ。
文章そのものは本当に飾り気がなくて、平易です。難しい言葉は一つもでてこない。感じも少ない。誰にでも書けそうだけど、誰にも書けない。

濁点をつけずにすっと一文でつづるのも、彼の文章の特徴です。一文が長い長い。どことなく太宰治を思い起こします。
好き嫌いが分かれると思いますが(嫌いな人がいたため、芥川賞はとれなかったそうです)、私は彼の文章が好きです。透き通っていて、純粋な感じがして。いやみがなくて、スマートで。

余談ですが、自作小説が420ページを超えました。
300ページくらいまでは濁点を少なめにして、それ以降は、実験的に濁点を多めにつけています。
すると不思議なことに、まったく違う文章のように見てきます。結果、私的には、濁点が少ない方がいいように思いました。文章が流れるようにさらっと進むような気がします。

以上、終わり(笑)

7.9(水)読了
第3回ホラー小説大賞長編賞佳作受賞。

阪神大震災の時期の兵庫・大阪を舞台とした、多重人格障害(解離性同一性障害)の少女、森谷千尋と、彼女を助けようとする、エンパス(精神感応能力者)、賀茂由香里の話。

この本を読むのは、実に3度目です。最初に読んだときは、衝撃を受けました。このような題材を、これほど巧みに書く人が出てくるとは、と。そして、この人は絶対に、大ブレイクする! と思いました。

貴志さんの本を他にも読みたいと思ったのですが、その時点では、彼はまだ、デビューしたての新人でした。よって、この1冊きり。非常に口惜しかったのを覚えています。
それほど、才能溢れる、すばらしい作品を書く人だと思っていました。

彼の本が1冊出版されると、すぐに購入して読み、また次を楽しみにする。この繰り返しが何度か続きました。私の予感どおり、彼は書くたびに、何かの賞を獲ったり、作品が映画化されたりして、あっという間にホラー小説界の大御所となりました。

最近では、倒叙推理小説や本格推理小説、大長編SFなども書かれており、さまざまな分野で力を発揮されています。

この本が貴志祐介の処女作、と思っていたのですが、実はそうではありませんでした。彼はその10年以上前に、他の作品でデビューしていました。
その時に発表した作品を作り変えて、今年の初めに出版したのが、大長編SF作品『新世界』(上・下)。400字詰めで1800枚というから、すごい。
まだ購入していないので(すみません)、近々、購入して拝読したいと思います。

ちなみに、今回、3読だからというわけではありませんが、ものすごい時間をかけながら、舐めるように読みました。100ページくらいまでは、PCで模写しました。比喩や表現法などをメモしながら。
その結果、「キャビネ」という単語が3度出てきた。こりゃあ、収穫。貴志氏はキャビネ好きだったのだ!
冗談はさておき、いろいろ気付くところがありました。ありがとう、貴志先生!

6.27(金)読了
第4回日本ホラー小説大賞短編賞受賞作。
横浜ベイブリッジのゴミ問題をテーマとした風刺的ホラー作品。

臨海開発予算を得るため、男が1本のテープを持ってきて、委員の皆に聞かせる。
そのテープはD-ブリッジテープという。横浜ベイブリッジのことだ。
物語は、13歳の男がテープに込めた音声を中心に進められていく。

5歳の子供がゴミと共にゴミだらけのベイブリッジに遺棄された。
子供は橋から外に出ようとするが、大型トラックにはねられて右足がボロボロになる。
外に出るのは諦め、ベイに捨てられていた車を住居として暮らす。

食物は虫や草、猫、鳥などなんでも食べる。足が腐ってきたので、車のドアを利用して自分で切り落とす。自分の血をすする。ゴミ虫を食べる。冬は食物がなくなり、土やゴミの木なども食べる。

毎日1台は車がきて、ゴミを捨てていく。ときには死んだ人間も捨てていく。ドラム缶に入ったドロドロした黒い液体も捨てていく。橋の下の川には死体がぷかぷか浮いている。

ある日、小さな女の子がゴミの山で泣いているのに気が付いた。
彼女は9歳で名前はエリハという。ハーフのかわいらしい女の子だ。両親が事故死したあと、親戚が彼女を引き取ったが、盲目の彼女を養う資金もなく捨てられたらしい。
2人でゴミの山で暮らしだすが、冬に入り食物も尽きてきた。2人とも餓死寸前だ。
生き残るために、男はある決断を下す。そして結末を迎える。

テープには以上のような内容が収められていた。
このテープの効果があったのか、臨海予算は無事におりた。
テープにはまだ続きがあった。それは男の悲痛な叫びだった。

この本を読んだのは3回目です。
短編なので原稿用紙200枚程度ということもあり、1時間くらいで読めます。
完全にアイデアの勝利といった作品だと思います。この作品の2番煎じは駄目です。まったく価値がありません。

最初読んだときも感動したけど、3回目を読んでも良い作品だと思いました。
沙藤氏はこのアイデアを思いついて、執筆しているときはとても楽しかったと思う。面白い場面だけを書いて、面倒なところは一切書かないで済むつくりです。

それにしても、ホラー小説大賞は本当にレベルが高い。
1回、2回目はたいしたことがなかったけど、貴志祐介や『パラサイト・イヴ』の瀬名秀明が出てきた頃から、一気にレベルが上がった。
長編は完全な実力勝負の感があるけど、短編はアイデア勝負のところがある。そこのところも面白い。

6.24(火)読了
リストカットをする人たちのルポルタージュ。

リストカットは病名ではなく、あくまでその状態のことです。正式名称は「リストカットシンドローム(手首自傷症候群または手首自傷症症候群)」だそうです。和名はなかなかキツイですね。略称リスカなどと言われています。おこなう人のほとんどが女性なのも特徴です。

リストカットをする人の背景には、境界性人格障害や統合失調症などの疾患がある場合が多いそうです。手首切りは2次障害ですね。そして親と不仲であることが多いのも特徴。これもまあ、親子で仲が悪いのは永遠普遍のことであり。虐待行為にまでいったら問題ですが。

ちなみに、本人は死のうとして行う訳ではないので、これで死亡するケースはあまりありません。もちろん、手首を切って湯船に使って失血死やOD(オーバードーズ:薬物の大量摂取、リストカッターには普通にみられる行為)との併用によって死亡するケースもあります。

繰り返しますが、自傷行為は自殺の手段ではないし、本人も死のうと思って行っている訳ではありません。逆に「生きるために自傷する」といった方が適切だと思います。
ストレス解消や精神の安定の意味が大きいようです。

昔の欧州では、瀉血療法というものがありました。文字通り患者の血を抜いて、容態を安定させるというものです。体内の血液が減少すれば脳に送られる酸素量も減るので、ぼーっとなったり、精神的に楽になるのだと思います。献血後にそういう感覚になることがあります。ふらふらして危険ですが。
『ロビンソンクルーソー』でも、救出されて興奮した船乗りたちに対して、医者が注射器で血を抜いて沈めるという記述があります。鎮静作用はあるのでしょう。

リストカットは嗜癖ですが、それがないと生きるのが苦しい人がいるというのもまた事実です。
そういう意味では、死ぬよりは緊急避難的に自傷行為を肯定した方がいいと思います。もちろん止めた方がいいのは言うまでもありませんが。

精神科医の解説で、リストカットは激鬱防止策の場合があると書かれていました。
自傷によって鬱な気分を追い払うのですね。気が紛れるのでしょう。
安全な方法で精神の安定を図れる方法がみつかればいいなと思います。
6.21(土)
元弁護士の山崎正友の犯罪について書かれた本。
彼の犯罪手口や性格をサイコパスと結びつけて考察しています。

サイコパスというと、有名な『羊たちの沈黙』を思い出します。あれは牢屋に入った犯罪者(レクター博士だったかな?)が、看守等を巧みに操るという話でしたね。レクター博士は天才的な操作者です。
モデルがいたと思うけど誰だったかな? デッド・バンディだったかな? 忘れました。

一時期、法医学(←試験の合格率1割弱。当然落ちました)や犯罪心理学等の事柄に興味を持っていたので、その手の本や映画を多く見ていました。最近はあまり読んでいませんが、心理学系統には興味があります。
山崎正友は弁護士でありながら、依頼人を恐喝して金を巻き上げたり、複数の女性に巧みに近寄って金品を騙し取ったり(1000万円など)をしています。

傍からみていれば「なぜあんなものに騙されるのか!」と思ってしまいますが、人間は実際にその立場にならないとわからないものです。
山崎は言葉巧みに人間心理を操作して自身の利益を追求していきます。基準の厳しいアメリカのサイコパスチェックリストからみても、完全なサイコパスのようです。

なにも弁護士が清廉潔白でないといけないという訳ではありませんが、ある程度のところでは法を遵守してもらいたいものです。法の専門家という社会的期待もあるので、それを裏切ったという意味では通常人よりも罪は重いといえるかもしれません。

ちなみに私(寿)は大学では法学部でした。
犯罪認定の基本は当人の犯行意思にあります。簡単にいうと、犯行意思を持って犯罪を行い、その結果犯罪が起こったら犯罪と認定されます(専門的には構成要件該当性があるといいます)。
重要なのは当人の「意思」です。

最近、多重人格者の行った犯罪に対して無罪判決が下されたという事案がありました。
心神喪失(心神耗弱?)状態での犯行なので意思なしという内容だったと思います。これは疑問です。

睡眠中や泥酔状態での犯行なら心神喪失等は理解できますが(意思がなくなったり、正常な判断ができなくなりますね)、多重人格の場合はあくまでも人格間に壁が出来ているだけなので、その意味ではどの人格も当人の意思の一部です。
人格が分裂している(ようにみえる)だけなのに、それを当人の意思ではないと判定するのは、論理的な考え方ではありません

では、ホスト人格(中心的人格=いわゆる自分の人格)が犯罪を行った場合では心神喪失にならないのでしょうか? 判定基準はなんでしょう? この辺はとても曖昧です。
この分野では日本は欧米に比べてとても遅れているので、学問的に確立して、法整備をおこなっていく必要があると思います。

話が飛んでしまいました。
いま思い出しましたが、法律学では「生来的犯罪人説」という考え方があります。
読んでそのまま、生まれつき犯罪をおこなう(気質・性格の)人間がいるという考え方です。
乱暴な考え方だと思っていましたが、サイコパス犯罪を考えると、それもあるのかもしれないと思ってしまいます。

名前で犯罪者になるか決まるとか、犯罪者面(づら)の人は犯罪者となる、といったバカバカしい説もあったような気がしますが、心理学と絡めて考えると、絶対的に間違いともいえないかもしれません。
「悪魔」ちゃんなんて付けられたら、グレる可能性が高いと思うし……。あきらかに人格形成に影響を与えますね。

ちなみに、本書は私的にはあまりおもしろくはありませんでした。
「捕食」というサブタイトルから、ジェフェリーダーマーなどのカニバリズムを想像していたのですが、普通の犯罪事件について書いた本でしたので。
いやいや、別にグロいのが好きというわけではありません。いちおう。


忍者ブログ [PR]
カレンダー
12 2025/01 02
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
とし
性別:
男性
趣味:
読書、コーヒー、ジョギング
ブログ内検索
フリーエリア
最新CM
最新TB
バーコード
アクセス解析