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読書日記を感想文的に書き綴っています。「お知らせ」には日々の雑感、興味のある分野を記載しています。
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2.16(土)読了
当時、高校3年生の綿矢りささんが書いた小説。綿矢さんはこの本で文藝賞を受賞し、三島由紀夫賞候補にもなりました。17歳での文藝賞受賞は堀田あけみさん以来、20年ぶりの快挙だそうです。

突然、高校を不登校になり、部屋の物をかたっぱしから捨てる主人公朝子。ごみ捨て場で12歳の小学生、青木かずよしと出会う。かずよしは朝子の捨てた壊れたパソコンをもらい、家に持って帰る。翌日、新しくマンションに引っ越してきた婦人に、朝子は大量のパンツをもらう。下着の試着品だが、ケバケバしくて着られないので朝子にもらってほしいとのこと。朝子の母親はあきれるが、お礼として1万円分の図書券を朝子に渡しに行かせる。その家にいたのは小学生のかずよし。下着おばさんはまさひこの断母だだった。かずよしはパソコンを直し(もともと壊れていなかったのだが)インストールする。かずよしは朝子に、どうせ引きこもっているのならここでチャット嬢のアルバイトをしないかと誘い、朝子は承諾する。朝子は毎日、合鍵でかずよしの家に入り、おしいれの中でチャット嬢をする。
そんな生活を1ヶ月続ける。ある日、昼ごはんを食べに家に帰ると、仕事にでているはずの母親が朝子の部屋で寝ている。頭痛で休んだそうだ。母親は昨日、学校からの電話で朝子が不登校状態なのを知る。部屋が空っぽのことよりも、朝子が自分の将来のことを想って母親は泣く。驚いた朝子はひろゆきの家に行くが、鍵を開けている途中にかずよしの断母と遭遇。断母は1ヶ月前から朝子が来ていることを知っていた。かずよしの部屋に行くと、チャット嬢のアルバイト代30万円が手に入ったという。これを期にチャット嬢は終了。朝子は学校に戻ることを決意する。

正直、前半は退屈でおもしろくない本でした。中盤のパソコンでチャット嬢をするころからおもしろくなり、終盤は割と楽しく読むことができました。ただ、これで文藝賞受賞は甘いのでは?とは思いました。文章も幼稚なところもあります。堀田あけみさんもそうですが、10代ということで将来性を買っての受賞でしょう。確かに17歳でこれを書くのはすごいです。「インストール」「チャットレディ」というのも時代のツボにはまっています。
あと、綿矢さんはとてもかわいい。これは宣伝効果も絶大、と勘ぐってしまうのは悪い癖。
かわいそうなことに、綿矢さんは受賞パーティーなどのメディアに露出後、ストーカー被害などに遭ったそうです。それ以後はほとんどメディアに出演されなくなったそうです。
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2.15(金)読了
らも氏のエッセイ集。一作が2~3ページと短いため、ちょっと時間が空いたときに読めます。あちこちに収録していたエッセイを集めて一冊の本にしたため、重複する内容もありますが、同じネタでも切り口を変えて書かれており、らも節もあいまって楽しく読めます。

<こんな場面で読むといい!>
①テレビのCM中・・・1~2作読めます。
②電車の中・・・1駅間で2作読めます。
③お湯が沸くまでの間・・・3作読めます。
④寝る直前・・・おもしろくて眠れません。

以上、すべて実体験です。ちょびちょび読むには最適です。こういう本はどこででもひょいっと取り出して読めるので、バッグの中に1冊入れておくことをお勧めします。空いた時間には強力な味方となります。重宝な本なので、「これをメインに読書はしないぞ!ちょびちょび読むぞ!」と思っていましたが、不覚にも後半半分を湯船につかりながら一気読みしてしまいました。らも氏おそるべし。
2.15(金)読了
幼い頃から大庭葉三は、人間の営みというものがわからなかった。なぜ一日に三度のごはんを食べるのだろうという疑問からはじまり、人は何を考えて生きているのだろうと神経症的に考え、世の中がまったくわからず、不安と恐怖に襲われていた。他人とほとんど会話もできなかった葉三は、道化となることで自分を取り繕った。絶えず笑顔をつくって笑わせていれば、人とつながることができる。世間の恐怖から逃れることができる。そうして葉三は本当のことを言わない子になっていった。
中学校、高等学校に進学する。頭はよかったので、大して勉強もしなかったが有名高校に入学できた。団体行動が大の苦手で、医者に肺病と診断してもらい、親戚の家や父親の別荘から通学する。高校在学中にカフェの女給ツネ子と入水自殺を図る。葉三は生き残り、自殺幇助罪でつかまり、放校される。
絵描きになりたく、アトリエに通ううちに5つ年上の堀木と出会い、酒、女、共産党の地下運動などに手を染める。道化のサービス精神や母性本能をくすぐるなにかがあったのだろう、葉三はバーのマダムや女性編集者シヅ子の家に転がり込む。シズ子からは漫画の仕事をもらい、子供向け漫画を描いて酒代を作ったりもする。酒癖の悪さやだらしなさに自分自身あきれ果て、自分がいてはシヅ子に申し訳ないと思い、シズ子と別れ、バーのマダムの家に戻って生活する。
煙草屋の娘ヨシの素直さに惚れ、「一本勝負」で結婚。ある日、ヨシと男性編集者との濡れ場を見てショックを受ける。ヨシは疑うことをまったく知らない人間ゆえの出来事であったが、これを境に2人の関係は悪くなる。吐血の症状がでてきたため、葉三は薬屋に行く。そこの女店主は夫を結核で亡くしていたので、葉三に親近感を覚え、さまざまな薬を出す。酒をやめるように勧め、どうしても我慢ができなくなったらこれを使えと、注射器とモルヒネを渡す。そうして葉三は、アルコール中毒からモルヒネ中毒へと変転する。支離滅裂状態となった葉三は脳病院に入れられる。
「人間、失格。もはや、自分は、完全に、人間でなくなりました。」
退院後は兄の用意した茅屋で60過ぎの女中と暮らす。

太宰自身の自伝でもあり、遺書ともいえる作品。
「恥の多い生涯を送って来ました」で始まり「もはや、自分は、完全に人間ではなくなりました」で幕を閉じます。おもったほど暗い内容ではなく、小むずかしい言葉も使っていません。エッセイを読んでいる感じといえばいいか、とても興味深く読むことができました。昭和初期の作品の中ではかなり高ポイントです。
文章の特徴として「、」が非常に多くもちいられており、一文が長い。「、」で区切って9行書くなどという芸当はアン・シャーリーも顔負け。

葉三の人生に対する不信と恐怖にも共感を覚えました。幼い頃の自分とオーバーラップします。
この後、太宰は玉川上水で入水自殺を遂げます。3度目の自殺未遂後、4度目でやっと思いを遂げました。高校の時、図書館の司書の女性は、「自分のことを本当に人間失格と思っているような人にあのような作品は書けない」と仰っていましたが、私は太宰に関しては、自分のことを本当に不完全な失格者と感じていたのではないかと思います。作品には諦念と懺悔の香が漂っています。
病跡学の本で作家の例が書かれていましたが、太宰もなにがしかの不全感のようなものを抱えていたのでしょうか。この時代の芸術家は自殺する人が多いような気がします。

2.14(木)読了
ジプシーを轢き殺した弁護士のウィリアム・ハリックは、長老ジプシーのレムキに痩せていく呪いをかけられてしまう。それ以後、112キロあったハリックの体重は食べても食べても減っていく。事故後の検分を十分にやらなかった警察署長ロシントンは、呪いで顔中がケロイド状態にされ拳銃自殺、ハリックを無罪とした判事のロシントンは鰐のような肌にさせられて飛び降り自殺をする。
ハリックは妻と精神科医により強制入院させられそうになるが、暗黒街の実力者ジネリの助けをかりてシプシーたちを追う。その間も体重は減り続け、骨と皮だけになり、不整脈の症状もでる。ジプシーの娘により手を貫通する怪我を負うも、ジネリの活躍によりレムキに呪いを解かすことに成功する。その間、ジネリはジプシーの娘に殺害される。
呪いはパイに乗り移らせたので、このパイを誰かに食べさせなければならない。ハリックの体重は徐々に増えていき、頃あいを見計らって家に戻る。妻は涙ながらに迎えてくれる。ハリックはパイを妻に仲直りのプレゼントとして差し出す。妻がこれを食べるとどんな呪いがかかるのだろう、と想像しながら眠りにおちる。夢のなかで、娘と2人で生活する未来をみる。収入は多くはないが、順調な生活を営んでいる。ある日、娘が訴えかける。お父さん、なぜだかわからないけど鼻がとれちゃったの!目を覚ましたハリックは、娘が帰ってきていたことに気づく。娘は妻と仲たがいし、親戚の家に泊まっていたのだ。台所には2人分の皿とフォークが置かれている。戸棚には妻と娘が仲直りとして食べたのだろう、パイが4分の1ほど減っている。ハリックは絶望し、残りのパイを食べ始める。たらふく食べてしまえ、と。

ホラーというよりも心理小説といったテイストに仕上がっています。おどろおどろしい描写は少ないですが、徐々に痩せてくるという設定はじわじわと締めつけられるものがあります。この小説を味わうには、主人公への感情移入が必須条件。字面だけを追っていてもあまり面白くない。主人公になりきって、徐々に痩せてゆく恐怖、心臓が引きつる恐怖、いつ心臓が止まってしまうか判らない心理的恐怖を味わってください。

著者はリチャード・バックマンとなっていますが、実はこれはスティーヴン・キングのことです。「小説作法」でも書かれていますが、当時のアメリカでは小説家は1年に1冊しか作品を発表しないという慣行がありました。多作のキングはそれを避けるため、リチャード・バックマンという別のペンネームで今作品を発表しました。「かもめのジョナサン」で有名なリチャード・バックからとったのかも知れません。

2.13(水)読了
フランスのプロヴァンス地方で、ある青年が人里はなれた高地を旅している。荒れ果てた土地を3日間歩きまわったが、人とは出会えず、水も尽きてしまう。困りはてたところで、一人の羊飼いと出会う。青年は羊飼いのもとに泊めてもらう。羊飼いはエルゼアール・ブフィエという名で年齢は55歳、とても寡黙だ。翌日、羊飼いは食卓にドングリを置き、ひとつずつ丁寧に調べ、よい実とわるい身を分けていく。青年は手伝おうとしたが、これは自分の仕事だからと羊飼いは断る。羊飼いは100個のよいドングリを持って山へ行き、鉄の棒で穴をあけ、ドングリをひとつ入れて穴を塞ぐ。同じように100個のドングリをすべて穴のなかに入れて、丁寧に穴を塞いでいった。このようにして羊飼いは、3年間に10万個の実を植える。そのうち2万本の芽がでて、1万本が樫(かし)となり育っている。
羊飼いは一人息子を失い、妻に先立たれ、人里はなれた山奥にひっこんで羊や犬と暮らすようになった。そして、この地方が樹木がないため死にかかっていることに気づき、荒野をなんとかしようと決意し、木を植え始めたのだ。
第一次世界大戦での5年間の兵役の後に、青年は再び羊飼いのもとを訪れる。羊飼いは生きており、ひたすら木を植えつづけていた。最初に植えた木は樹齢10歳を超え、立派に生長していた。樫のほかにブナや樺の木も植えられており、すっかり辺りは一つの森になっていた。
行政官庁がこの''自然林''を視察しに大規模代表団を送ってきた。彼らはどうでもいいことをしゃべったあげく、森を国の管理下におき、炭焼き目的の立ち入りを禁止する措置をとる。羊飼いはただひたすら木を植えつづける。あたりは6、7メートルの木で埋め尽くされるようになった。
第二次世界大戦で木炭ガスの燃料として森の木の伐採がはじまったが、道路網からはずれた場所で採算が合わないことが明らかとなり、中止された。羊飼いはなにも知らず、あいかわらず穏やかに自らに課した仕事をつづけていた。そうして87歳で羊飼いは死んでいった。
荒れ果てた高地は羊飼いにより豊かな森林となり、村ができ、28人が住んでいる。そのうち4軒は若い家庭だ。森が保持する雨や雪を受けて、古い水源がふたたび流れはじめ、人々はそこから水を引いている。村祭りも再開され、人々も集まり、1万人を超える人々がいまの幸せをひとりの羊飼いに負っている。

ひとりの羊飼いが木を植え続け森になり、人々が集まり村ができる。
とても感動的な話ですが、この話自体はフィクションです。アメリカの編集者から「実在した忘れえぬ人物」を書いてほしいと頼まれて渡したのが今作ですが、羊飼い(エアゼアール・ブフィエ)は存在しないことがわかり、原稿は返却されます。そこでジオノ氏は版権を放棄し、原稿をあちこちに寄稿したので、この物語は13カ国語に訳されて紹介されるまでになりました。
何十年もただひたすら木を植え続ける。継続は力といいますが、なかなかできないことです。それを成し遂げたことにより人が集まり、幸せが生まれました。この物語は人生の縮図なのかもしれません。

2.12(火)読了
アルプスの小村で生まれた高地育ちの百姓の息子、ペーター・カーメンチント。進学を期に故郷を離れ、大学卒業後は文筆家として身をたてる。芸術家のサロンに出入りしたり、敬愛する聖フランシスのアシジの丘を訪れたりもするが、なかなか自分の居場所をみつけられず、都会の生活に失望し幻滅を感じるようになる。美しい少女エリーザベトへの愛と、姿は醜いが美しい魂をもった身体障害者ボビーへの奉仕により、彼はアイデンティティを保ち救われる。エリーザベトとの愛に破れ、ボビーも死んだ後、父親の介護をするために故郷へ帰る。ペーターは自然に包まれた土地と気取らない人たちのいる故郷に安住の地を見いだす。

ヘッセの処女作である今作品は、情景描写に多くのページが割かれていて、とても詩的な内容になってます。特に山や雲などの自然の描写は巧みで、そこだけを取り出すと一冊の詩集といった趣があります。作中人物がペーター(主人公)を詩人と讃えていますが、この作品全体が大いなる抒情詩といえます。詩のなかに人間愛や成長の物語が挿入され、故郷という安住の地に帰還することにより終息にいたります。
過剰な情景描写でやや中だるみになる部分もありますが、文章のうつくしさは文句なしです。考えて読むというよりも、詩を朗読するように心で感じとるのがいいと思います。

2.11(月)読了
S・キングによる、小説の書き方に関する本。
前半はキングの半生を自伝風に書き綴っている。病弱で小学校を留年したキングは、暇にまかせて重さ6トン分のコミックを読みふけったこと、文章を模写して遊んでいたこと、作家として認められるまで大いに苦労したことなどが、キング独特のユーモアをまじえて書かれている。世界的に有名なキングも、デビューするまでは不採用通知の山だったことは、当然といえば当然だが、驚きでもある。天性の才能で瞬く間に文壇デビュー、といった印象を持っていたのだが、世の中そんなに甘くないといったところか。

中盤からは本論の小説の書き方について語っている。
良い文章を書くコツなどはない。しかし、いくつかのアドバイスならできる。まずはよく読み、よく書くが至上の戒律。読みもしないのに書きたがる勇ましいのがいるが、読まずになぜ書く資質が磨かれるものか。わかりきったことだ。・・・などと、自身の流儀を語っている。その他、自分が読みたいものを書く、副詞を使わない、第2稿=初稿-10%、などといった具体的なレクチャーも書かれている。
おもしろいことには、代表作の「ミザリー」は自身のみた夢をそのまま文章にしたものだそうだ。眠りから醒めたキングは、すぐに航空機のナプキンに夢の内容を書きつける。これが後に偉大な作品へと変貌する。夢もまんざら捨てたものではない。

最終章は1999年6月にキングが起こした事故について。
わき見運転の車と正面衝突したキングは、生死の境をさまよい、肺がつぶれながらも生還する。しばらくはリハビリや身体の痛みのため、まったく筆を執らなかった。重い腰をあげてようやく取り組んだのが、途中まで書きかけていた本書、小説作法である。キングは、この事故をきっかけに小説に対する取り組み方が変わったと述べている。変わらないのは、書くことはキングに幸福を与えているということのようだ。

2.10(日)読了
親の遺産で無為な生活を送っている島村は鉄道で雪国へ向かい、車中で病人らしき男と一緒にいる娘・葉子に興味を惹かれる。温泉場の宿において芸者の手が足りないため、島村の部屋にお酌に来たのが19歳の駒子であった。次の日島村が、女を世話するよう頼むと駒子は断ったが、夜になると酔った駒子が部屋にやってきて、2人は一夜を共にする。駒子に誘われ、駒子の住んでいる部屋に寄ると、そこは踊りの師匠の家の屋根裏部屋だった。鉄道内で見かけた2人は師匠の息子(行男)と娘(葉子)だったことを知る。その後、按摩から聞いた話で、駒子は行男の許婚者で、治療費のため芸者に出たと知る。但し、駒子は許婚者であったことを否定する。島村の滞在中に行男は死亡する。
翌年秋、再び温泉場に訪れた島村。2月に来る約束を踏みにじったと駒子は怒る。行男も踊りの師匠も亡くなったと聞き、島村は駒子と墓参りに行く。墓地で葉子に出会うと、駒子の機嫌が悪くなる。島村は葉子にも魅力を感じ、言葉を交わす。葉子は島村に一緒に東京に連れて行ってほしいと言う。
島村は家族(妻子持ち)を忘れたように、冬の温泉場に逗留を続ける。ある夜、映画の上映会場になっていた繭倉(兼芝居小屋)が火事になる。人垣が見守る中、葉子が繭倉の2階から投げ出される。駒子は必死になって葉子を抱きかかえる。空にはさあと音をたてて天の河が瞬いていた。

有名な雪国のあらすじです。主人公が訪れた温泉場における、芸者・駒子、踊りの師匠の娘・葉子、主人公・島村の三角関係の恋愛叙事詩となっています。この小説は情景や心理描写が非常に多く使われていて、枕草子や和歌などの系譜にある日本的な美観を発現しているといわれています。ラストは繭倉が火事になり、恋のライバルである駒子が葉子を助けるといった場面で終わります。パッと燃え上がり、一気に物語を終わらせる手法も秀逸です。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」の冒頭であまりにも有名なトンネルは、群馬県と新潟県の県境にあります。私はこのトンネルを高校の修学旅行の時に通りました。トンネルに入る前(群馬側)は雪の気配はまったくありませんでしたが、トンネルから抜けると(新潟側)一面の銀世界、はっと息をのみました。「雪国」は本当だったのかと非常に感激したのを覚えています。自分の目で見るまでは、川端康成のフィクションではないかと思っていました。小説の舞台を実際に訪れてみることも、作品を知るうえで重要だと感じました。

2.10(日)読了
中島らも氏の対談集。相手は野坂昭如、チチ松村、松尾貴史、ツイ・ハーク、井上陽水、山田詠美、筒井康隆の7名。野坂昭如氏との対談が非常におもしろかった。野坂氏が週刊文春で「自分はもはや体制であるのになぜ若い者はかかってこないのか」と発言。それに発奮したらも氏は、酔った勢いもあり野坂氏に対してFAXで果たし状を送付。これを受け取った家族は驚愕し、野坂氏本人には見せずに封印する。これはおもしろいということで、野坂VSらもの対談が実現。
らも氏は果たし状のことを回想して、そのころはアルコールでドロドロの状態にあり、そこから抜けるためには何かが必要だった。何かとは、強烈な戦いのようなものだ。そんなものがないと、どんどん地獄に堕ちていくような気がした、と書いている。白羽の矢を立てられた野坂氏はご愁傷様である。なぜ21歳年下の若造から果たし状を送られねばならないのか。おまけに野坂氏は果たし状を読んでいない。因縁つけるのも大概にせい!という感じか。
とはいえ、野坂氏はらも氏とまったく何もないわけではない。「今夜、すべてのバーで」という作品を山本周五郎賞に推したのも野坂氏だ。理由は、今のうちに賞を与えてこちらに取り込んでおかなければ、どこへ行ってしまうかわからない、というもの。これに対しらも氏は「俺がどこへ行こうが大きなお世話だ」と立腹。因縁覚めやらぬ場での対談だったのだ。
こんな両者の話し合いなので、対談内容はかなりピリピリしたムードが漂っていておもしろい。らも氏の才能を買っている野坂氏に対し、21歳年上の大先輩に一歩も引かないらも氏はさすがだ。野坂氏がいつキレてもおかしくない状況なだけに、読んでいるがわでも冷や冷やしてしまう。
最後にはしっかりオチも付けられており、読んでいてとても楽しかった。肩が凝らずに読める対談集は、やはりいい。

2.8(金)読了

月面で発見された深紅の宇宙服をまとった死体。この死体は月面基地の所属でもなければ、この世界の住人でもなかった。そして彼は5万年前に死亡していた。一方、木星の衛星ガニメデで地球のものではない巨大宇宙船の残骸が発見される。はたして両者の関連は?

 

古典的な謎かけで始まる現代SF。宇宙に進出して敵と戦うというものではなく、科学を駆使しての謎解きがメインになっています。ある推論が出されれば、その反論、実証、また反論・・・。SFメインの推理小説といった感があり、スリリングな展開が好きな人には物足りないかもしれません。しかし、一歩一歩着実に真実にむかう過程はとても興味深く、終盤に至ってすべての謎が解き明かされると、パズルの断片がぴったり重なったような爽快感が味わえます。
5万年の時を経て出会った知的生命体の技術力の差が100年しかないなど、設定として無理のある箇所もありますが、この小説の味噌はラストです。論理の不備は、太平洋のごとく大らかな心で受け流しましょう。

 

それまで無名だったJ・P・ホーガンを現代SFの巨匠に押し上げた一作。続編として「ガニメデの優しい巨人」「巨人たちの星」があります。



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