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読書日記を感想文的に書き綴っています。「お知らせ」には日々の雑感、興味のある分野を記載しています。
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2.27(水)読了
恐怖ミステリー系のちょっと推理小説風の本。

文化人の多く住む姥坂市。作家の村田勘市もこの市に住んでいる。村田氏が画家の町田美都の邸宅に立ち寄ると町田美都は邸宅内で絞殺されていた。警察などが集まり騒然となる。翌日には建築評論家の南條郁夫も同じ手口で殺害される。文化人の集まりで話した結果旧税務署の取り壊し反対をした文化人が殺されているのではないかという結論に達する。というのも反対可決の後に老朽化した税務署が崩壊してしまい建物内の税務署員30数人が生き埋めになったという事件があったからだ。その税務署員の遺族が文化人を殺害しているのではないかということだ。殺害された2人は新税務署建設に強硬に反対した人物であった。姥坂市の文化人たちはみな恐れた。ほとんどの文化人は保存に賛成した経緯があるからだ。さらにもう一人の文化人が殺害される。主人公の村田は恐怖で次第に追い詰められていく。他の文化人も少なからず同じ心境であった。
ここからはネタばれだから注意が必要だ。殺害犯は税務署員の父を持つ男と図書館職員の男だ。一方は父親をもう一方は妻を税務署の崩落で亡くしている。そのため税務署建設反対を唱えた文化人全員を殺害しようと思ったのだ。結局捕まったが、主人公村田の精神は恐怖でおかしくなり精神病で3ヶ月半過ごす。すっかり直って離婚した妻の友達と再婚する。事件のノンフィクション物の執筆も行い盛況を博す。ラストが面白い。数ヶ月前に家の薔薇を勝手に抜いていった女子高生3人組のうちの最もかわいい娘と道で会い精神病院で入院していたことや再婚したことなどを話す。娘は高校を卒業したのであろう楚々とした美女に変身しており涙を流して言うことには「私先生のことが好きだったのに」。一度や二度少し会っただけの冴えない作家を好きになり涙の告白をする楚々とした美少女がいるとは仰天であり意外なラストと言わねばなるまい。

いかがでしょうか、読みにくいですか?筒井氏文章を真似て句点なしで書いてみました。筒井氏は、もちろん意識的にでしょうが、句点を少ししか用いずに文章を作成されています。通常の物書きなら句点を用いるところで読点を使用するなど、個性的かつ実験的な側面を強く感じます。読んでいてそこばかり目がいってしまいました。しかし、これがいい。他にも「ケケケケ」「あははははは」「イヒヒヒヒヒ」などの笑い声の使い方も秀逸です。人間の根源的恐怖心に訴えるなにかがあります。漫画家に例えると、楳図かずお。もしくは吉田戦車。みな根源に訴えかける作品を発表しています。こういうものを書ける人はすごいです。
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2.25(月)読了
「インストール」でデビューした綿矢さんの2作目の本です。本書でみごとに芥川賞を受賞しました。ということは純文学?と思って読んでみると青春小説でした。もちろん純文学ではありますが。

<あらすじ>
高校に入学後、なかなか友達ができないハツ。中学校時代からの友達の絹代も他のグループに入ってしまう。もう一人、クラスで友達がいなくて浮いている陰気?な男子、にな川がいる。にな川は授業中に女性雑誌を読む、変わった人間だ。ハツはその雑誌に載っている女性をみて、以前この人を見たと、にな川に言う。ハツは中1のとき、無印良品でオリチャンと会ったことがあるのだ。にな川はその女性アイドルが好きなようで、興奮する。
高校の帰り道、ハツは誘われるでもなくにな川の家にいく。ごく普通の一軒屋だが、彼の部屋は別館のようなところにある二階部屋で、おまけに汚い。ハツは衣装ケースに入っているアイドルのグッズを発見。すべてにな川が好きなオリチャングッズだった。
にな川が風邪をひいて4日も学校をやすんだので、ハツはお見舞いにいく。オリチャンのライブチケットを購入するために並んで、風邪を引いたらしい。にな川の背中を蹴ったり、くちびるをぺロッと舐めたりする。(←この辺、ぜったいありえない)
ある日、にな川にオリチャンのライブに誘われる。チケットを4枚も購入してしまったが、一緒にいく人がいいないとのこと。ハツは絹代も誘って3人で行くことにする。ライブを楽しんだ後、オリチャンに会うために出入り口付近で待つ。オリチャンが登場し、にな川は人ごみを掻き分け、オリチャンに近づくが、オリチャンはそのまま車へ。警備員に叱られてしょんぼりする。
終バスは発射しており、帰れない。3人で、歩いていけるにな川の家に泊めてもらうことにする。女性2人はシャワーを浴びたが、にな川は疲れていてパス。にな川はベランダでゴロンと寝ることにする。深夜3時半、ハツはベランダに出て、にな川の横に座り話をする。足指で彼の背中を蹴る。

<客観的な感想を述べさせていただきます>
いまいちピンとこない本です。複線がないというかなんというか・・・。ものの本にも書いていますが、小説で大事なのは「行動動機」だと思います。つまり、その人がなぜその行動をとったのか、ということです。義理、金、欲望、恫喝、さまざまな理由があると思います。動機を満たすため、小説内の人物はアクションを起こす。その行動を読者は納得し、共感する。ハーレクインやコバルトの王道です。ヒロイックファンタジーもほとんどこれ。ドラゴンボールを例に考察。

悟空、強敵と対戦!→やられる→修行してパワーアップ!→再戦→勝つ!→友情が芽生えて仲間化→悟空、強敵と対戦!・・・・・・

シンプルベストながら王道まっしぐら、でも面白い。パワーのインフレに負けず、読者人気投票も視聴率も高レベルを維持、見事化け物物語へ成長、すごいぞ鳥山明!悟空の行動原理も非常に単純です。よく悪人にたぶらかされて世界制服の尖兵とならなかったなと関心するくらい、単・細・胞です。しかしながら、その行動は誰もが納得でき(る?)、だからこそ読者は共感を得、カタルシスを引き起こします。

「蹴りたい背中」には行動原理がない。もしくは希薄。少なくとも私にはそう感じました。親しくもない男の部屋に入って、いきなり、くちびるにキス。確実ににな川は初キスでしょう。女に奪われるなど、男児として生まれての一生の不覚。無念。対するハツも決して積極的な女の子ではない。よって、初キッス。親しくもなく、教室でひとり女性雑誌をみている男性の柔いくちびるを奪う。女冥利に尽きるのでしょうか。文字通り、ハツは男をなめていたのです。まぁ蓼食う虫も好き好…みなまで言うまい。

いろいろ言いたいこともありますが、この本は個々人で読んで判断してもらうということで。私の読解力と感動力がともに不足しているだけの可能性もありますので。
ここまで書いたら綿矢さん、怒るかなぁ?見ていたらごめんなさい(見るかッ!)
2.24(日)読了
筒井義隆と著名人9人の対談集。断筆宣言中の本なので、差別用語や放送禁止用語について多くを語られています。特に小林よりのり氏との対談はおもしろい。よしのり氏(通称よしりん)は「ゴーマニズム宣言」「おぼっちゃまくん」「東大一直線」などで有名な漫画家です。差別用語とお下品な描画で、小学生を中心に大ヒットしました。「ゴーマニズム宣言」は主に中学生以上を対象とした風刺的漫画で、過激な主張と言葉使いでヒットを続けています。過激さゆえ、各種団体からの抗議は日常茶飯事のようです。当然、言葉狩りの危機にも瀕しました。
言葉について考え抜いた2人のやりとりは味があります。差別とはなにか、世の中に差別でないできごとなどあるのか、差別しないことも差別ではないのかなど、考えさせられることがたくさんあります。私の友達の通っていた中学校は、いわゆる部落民の多い地域だったので、「平等教育モデル校」に認定されていたようです。「平等」の旗頭のもとテストに点数はつけず、運動会の徒競走では互いに手をつなぎゴール。理由は生徒が傷つくからだそうです。みんな平等に公立へ進学、という意味からなのか、私立中学校受験に必要な内申書も作成されなかったようで、受験希望の生徒はなくなく受験を断念していたそうです。私の友達は小学校6年生の頃に足を骨折したため、席替えの時に教室のドアの前の席にしてくださいと先生に頼んだそうですが、みんな平等だからそれはできないと言われたそうです。おそらく、国、教育委員会からの圧力で教師もそのように極端なことをせざるを得なかったのでしょう。教師は決してそんなことを望んではいなかったはずです。対国民向けにモデル校は成功の至上命令が下されていたのでしょう。平等教育の徹底により、その小学校は荒れ放題となりました。生徒は授業中に廊下にでていき、先生は手もだせない。いじめも横行するが、先生は見てみぬふり。平等教育の下では、いじめという事実はあってはいけない=いじめは存在しない、存在しないものは見えないということです。数年後、平等教育モデル校の小学校は「成功」をおさめ、その役割を終えて、平等教育を廃止しました。意味がわかりません。
平等は結構ですが、平等、平等と騒いでいる人たちの中には平等の意味を取り違えている人も見受けられます。あえていうと、日本国憲法における法の下の平等とは、あくまで「機会の平等」であって、結果の平等ではありません。チャンスは与えるという意味です。チャンスを掴まなかった(掴めなかった)から不平等というのは違います。ひとつだけ真実をいうと、平等などどこにも存在しません。平等という枠組みに人間をあてはめるだけです。
差別と平等の問題は相当深いです。人により意見もまちまちでしょう。
2.22(金)読了
神風特攻隊員たちが特攻前に親兄弟に書き遺した、遺書・遺詠をまとめた本。
太平洋戦争末期、敗戦濃厚の日本軍は戦局打開のため、片道分のガソリンだけを積んで敵艦隊に突撃する部隊を編成しました。鹿児島県の知覧特別攻撃基地からは400数十機の特別攻撃隊が飛び立ち、沖縄周辺の米艦隊に向けて突撃しました。爆弾を抱えて飛行機ごと敵艦にという悲壮な作戦に志願したのは、20歳前後の若者たちです。国のためとはいえ、帰還のない出撃をするのはどんな気持ちでしょうか。もし自分が、と思ったとき、はたしてどうなるのか。取り乱すのか、冷静でいるれるのか、想像がつきません。出撃前に麻薬を打ってという話も聞いたことがありますが、真偽のほどはどうでしょう。

遺書にはほとんどの人が父・母に向けて書いています。読んでいて涙がでそうな手紙も多数ありました。この手紙を受け取った肉親はたまらなかったでしょう。個を捨てて国を想うというのが当然の時代、特攻は当たり前の行為だったのでしょうか。

誤解をおそれずにいえば、戦争は資源の奪い合いです。より突きつめて考えると、人間の恐怖と欲望によって引き起こされる行為といえます。地球には全員にいきわたるほど十分な資源・食料は存在しないという恐怖、だから奪うという欲望。恐怖と欲望をコントロールできなければ、戦争は永遠になくなりません。もしも人類に恐怖と欲望をコントロールできる能力(生理脳)が付与されていたならば、地球はユートピアのような世界になっていたかもしれません。
2.21(木)読了
バリ島でのテレビ収録に出演したときの内容を、多少の脚色を加えて小説仕立てにした本。
ほぼノンフィクションと思っていいでしょう。「心が雨漏りする日には」に書かれていましたが、この本の前半はらも氏が躁状態のときに書いて、後半は普通の状態に戻ったときに書かれたものだそうです。気のせいか、前半よりも後半の方がおもしろく思える。作中のらも氏扮する文句三郎(もんくさぶろう)もバリ島で思いっきり躁状態になっていて、普段、無口で「舌の牛歩」と自分で嘲笑していたにもかかわらず、多弁になっています。
例によって、マリファナは吸うはハッシシは吸うわで、酒にいたっては50℃のワイルドターキー1リットルを4日で空けている。帰国後、芝居に参加しようとするも、躁が悪化して自滅し精神病院に入院、というお決まりのパターンで進行していきます。らも氏のことだから驚くに値しません。

躁状態の作者が躁状態になっている作中人物を書く、というのは本書以外には見られないのでは。そういう視点から本書を眺めて、評論家を気取るのもおもしろいと思います。
2.20(水)読了
らも氏のエッセイ集。この本はらも氏の躁うつ病、薬物中毒、アルコール中毒などの実体験をメインに話が進められています。読むと悲喜劇魑魅魍魎の世界を垣間見ることができます。

①らも氏はアルコールを飲みすぎて前と後ろの穴に締りがなくなりました。結果、垂れ流し状態になる。寝しょんべん、寝うんこは当たり前、歩いていても自然にしたたる。無意識に脱糞する・・・おそろしい。
「だれだ!もらした奴は!って俺かぁ!」
外出時は老人用おむつの装着を余儀なくされたらも氏。

②らも氏は薬の飲みすぎ(11種類)で失明しかけました。ナルコレプシー(眠り病)にもなりました。インポにもなりました。薬を処方していたのは「私は盗聴されているのです・・・」と語るアブナイ精神科医だったそうです。おそろしい。

③躁状態になり大迷惑をかけました。タクシー内でエチケット袋におしっこして友達に贈呈しました。ホテルで友達を寝かさず、ずっと騒いでいました。できもしない仕事を引き受けてボロボロになりました。

などなど、あちら側の世界の話がてんこ盛です。
ちなみに、父親が躁病で叔父がアルコール依存症のようです。これらの病気は遺伝的要因が大きいので、らも氏は直球ど真ん中で素養を受け継いだもようです。医療技術の進歩は優性のみならず、劣性(劣っているという意味ではない)の種の生存・繁栄も約束しました。そのおかげでらも氏が生誕し、このような本が読める。すっころんでお亡くなりになったのが残念でたまりません。
2.20(水)読了
モダン・ホラーの巨匠がインターネット限定出版をおこない、わずか48時間で50万人がダウンロードしたオンライン小説の翻訳・書籍版。

大学1年生のアラン・パーカーは母親が倒れたと聞かされ、190キロ先の病院までヒッチハイクで向かう。墓場で墓石に頭を打ちつけた後、一台のマスタングに乗せてもらう。運転手の若い男ストーブからは奇妙な臭いがする。ふと男の首筋をみると、首と胴体とをつなぎ合わせた痕がある。ストーブは運転中に事故死して首がとれた男の亡霊だった。悪臭の原因は防腐剤のホルマリン。車中でブレットに、母親の死と自分の死の二者択一をせまられ、アランは母親の死を選択する。ストーブはアランが12歳の頃に母親と一緒に行った遊園地の乗り物<ブレット>のバッジをアランの服につけて、アランを車から突き降ろす。どさっと地面に落ちたアランは、自分が墓地にいることに気がつく。墓石に頭を打ち、気を失って夢をみていたのだと納得する。
病院で母親に面会。軽い脳卒中で大丈夫のようだ。薬で朦朧とした頭で母親は言う、<ブレット>に乗る順番がきたときにアランが怖がって乗らなかったからといって、お前を叩いて悪かったね、と。暑いさなか、母はアランと一緒に<ブレット>の順番待ちに並んでくれたのだ。お見舞いが終わり病院から出ていくとき、アランの服にストーブにつけられた<ブレット>のバッジがあることに気づく。あれは夢ではなかったのだ。
大学卒業後、アランは就職して母の家のそばで暮らし、7年間にわたり母親孝行をする。<ブレット>のバッジがなくなって数日後、母の死を告げる電話がかかってきた。
人は順番を待つ。怖いものみたさのために、金を払ってでも。乗るかもしれないし、逃げ出すかもしれない、でも、さいごは同じことだ。

なんとも意味深長なラストです。マスタングの運転手ストーブ、<ブレット>のバッチ、母親の死、これらをどう解釈するかは読者にゆだねられています。

2.19(火)読了
ビートたけしのエッセイ集。ベネチア映画祭でグランプリを受賞したことから地方自治、ボランティア、安楽死など幅広く論じています。「首吊りの足を引っぱるのは善か悪か」など誰もが思っていても言えないことも書かれている。憲法25条で生存権があるのと同様、自殺する権利もあるというわけ。
欧米では一応、キリスト教というものが浸透しており、自殺や悪いことをすると死後に煉獄で苦しむとされている。小さい頃から日曜学校などでこの教えを刷り込まれたら、いくらかの抑制効果になるのかもしれない。それに「なぜ自殺はいけないの?」と聞かれたときにも答えやすい。煉獄に放り込まれるからよと。
一方、日本はほとんどが仏教徒ということになっているが、実際のところは無宗教。エンマさまに舌を抜かれるといっても説得力がない。最近流行っているスピリチュアル的なものは、いくらかは抑制効果になるのかもしれないが、一般人からすると胡散臭いことはなはだしい。
既存宗教も十分胡散臭いけどね。墓石買うのに平均200万円、葬式、法事でちょっとお経を頼むとン十万。戒名なんて漢字一文字が数万円?あほらしい。免罪符がなぜここまでまかり通っているのか。冷静に考えるとお金をドブに捨てるようなものとわかるが、伝統と常識を楯にとられると無思考になる。見栄と世間体というのもあるか。
「お母さん、なんでお墓建てるの?」「それはね、みんな建てているからよ」「仏壇はなんであるの?」「家にお墓があったら便利でしょう」「じゃあ、お墓いらないね!」
説得力もなにもない。墓がないと天国に行けないというのも苦しい。そもそも、無宗教なのに死後の世界を信じているのかとつっこまれる。宗教団体の資金源のためだよ、とぶっちゃけるのもはばかれる。第一「なんで宗教団体にお金払うの?」と聞かれたらつらい。たしかに必要ない。
親戚一同が会する機会が設けるため、とか、祖先を敬うため、と無理に理屈をこねても道理がひっこむ。好きな者同士で勝手に旅行に行くほうがよっぽどいいし、祖先を敬うのは手を合わせれば足りる。そもそも、既存仏教には墓は無い。
ならお墓いらないじゃん、って言われたらその通りなので痛い。

結論としては、無意味な祭祀類はやらない。宗教団体にも課税した上で、伝統芸能として若干の補助金を与えて運営させる。これでいいのでは?

と、自己主張も若干入ってしまいましたが、独特な考え方が書かれているたけし本です。なかなかおもしろいので、読んでみて損はないと思います。
2.18(月)読了
学問の天分豊かなハンス・ギーベンラートは、周囲の期待に応えるため勉学に打ち込み、難関の新学校の入学試験(州試験)に2番目の成績で合格する。寄宿舎での生活でもハンスは努力を重ね、常にトップの成績を維持する。同室の天才肌で詩人のヘルマン・ハイルナーと出会う。ハイルナーとハンスはキスをする。仲良くなった2人は行動を同じくする。ハイルナーは詰め込み式の学校教育をばかにし、教師に対して反抗的に振る舞う。ハイルナーは学校側から要注意人物として扱われ、一晩無断外泊したことを契機に放校される。ハイルナーと仲が良かったハンスも疎んじられるようになり、勉学にも身が入らずに成績は低下する。授業についていけなくなり、精神的にも不安定となったところで、実質的に退学処分となり、入学からわずか半年で実家に帰る。
家で無為な時間を過ごしていたハンスは、幼い頃からの憧れの女性エンマと再会し、キスをする。しかし、エンマは汽車で実家に帰ってしまう。エンマはハンスのことを気まぐれで付き合ったのだった。機械工として働くことに決め、ハンスはなれない力仕事をこなす。職工はそれぞれ誇りを持って仕事をしていることに気づく。ある日、仕事仲間と酒場に繰り出し、正体不明になるまで酒を飲む。りんごの木の下で横たわったハンスは詩を口ずさむ。翌日、川の底で冷たくなっているハンスが発見される。

ヘッセの代表的自伝小説である「車輪の下」のあらすじです。ハンス少年の生涯が詩的な文章で書かれています。ヘッセも神学校に入学し半年で退学になって後、母親の愛情で立ち直り、職工となっています。今作の主人公のハンス少年は母親はいないという設定で、それゆえか寂しく死んでいくことになります。母親存在とハンス・ヘッセの将来の違いは意図的なものなのでしょうか。ヘッセは神学校退学後に2度、拳銃自殺を試みます。いずれも未遂に終わりましたが、母親の存在に負うところが大きかったのかもしれません。

車輪の下というのは、「頑張りすぎて、疲れきって、車輪の下じきになってしまわないように」というほどの意味のようです。ハンスは車輪の下じきになってしまいました。周囲の期待に潰されてしまった。繊細な性格だったのでしょう。読んでいてとても可哀想に感じます。
小説の舞台のドイツは太陽の日差しが弱く、曇っているのが常の国です。そのせいか国民性は物思いにふけり、やや陰鬱になりがちのようです。逆にイタリアは地中海の太陽をいっぱいに浴びて陽気な性格ができあがります。どちらがいいとうことではありませんが、私はドイツの国民性が好きです。

この小説を初めて読んだのは中学校1年生の夏でした。読書感想文のために読んだのですが、私の気質の合ったのか、その後も折にふれ読み返すことになります。そのたびにハンスに同情してしまいます。切なくて儚い最期でした。
2.16(土)読了
全8篇のSF短編集。すべてが「おどろき箱を開けると、」という文章で始まり、箱の中からさまざまなものが出てきて物語が進行していきます。童話的な内容をイメージしているのか、海賊や地蔵、マッチ売りの少女なども登場し、ほのぼのとした雰囲気が作品を包みこんでいます。しっかりとオチもついており、なるほど!という作品もいくつか見受けられます。
「首神さま」「逆転」などは、使いふるされた手法ながら、なかなかいい味をだしています。最後までオチに気づきませんでした。

阿刀田氏はショートショートや短編で秀逸した作品を発表されており、「ナポレオン狂」で直木賞をはじめ、多数の賞を受賞されています。また、ショートショートの神様と言われている、故星新一氏の跡をついで「ショートショート・コンテスト」の選者もつとめておられます。


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