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読書日記を感想文的に書き綴っています。「お知らせ」には日々の雑感、興味のある分野を記載しています。
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2.4(水)読了
新撰組の吉村貫一郎の生涯にスポットをあてて、新撰組の変遷や時代の流れを描いている。
新撰組といえば、近藤勇、土方歳三、芹沢鴨、沖田総司、斉藤一、永倉新八などが有名で、これらの人物を中心に語られることが多いなか、吉村貫一郎という人物はほぼ無名と言ってもいいと思います。私もこの本を読むまでは知りませんでした。
吉村貫一郎は南部藩の生まれで、剣術と学術に秀でた文武両道の才子でした。しかし、足軽の子という出自のため、二駄二人扶持(年16俵)という薄給に喘いでおり、妻子を養うこともできずにいました。おりしも時代は天保の大飢饉、吉村の妻は身重の自分をはかなみ、自殺の手前にまで立たされました。そこに至って貫一郎は南部藩を脱藩、京都に出て新撰組の門を叩きます。
貫一郎は剣術の腕前と学術ともに見込まれ、出世を果たします。年80俵も貰える身となったときには、隊士達の面前にもかかわらず涙を流さんばかりの喜びよう。そして給金はすべて実家に送金する。そんな貫一郎の行動は隊員たちに奇異に映り、変人呼ばわりされたり、軽く見られたりしていました。
御一新後の官軍との戦いで新撰組は旧幕府軍として参戦し壊滅。貫一郎は脱藩した南部藩の大坂長屋にたどり着き、帰順を申し出ましたが、そこで下された沙汰は「切腹」でした。長屋内で貫一郎は見事に切腹をします。

貫一郎の一人語りと、大正期以降まで生き延びた、新撰組隊員たちの昔語りを交互に交えて、新撰組と貫一郎の生涯を描いています。
460ページと少々長いですが、重厚な文章と興味深い内容で、一気に読むことが出来ます。下巻も期待できそうです。
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