読書日記を感想文的に書き綴っています。「お知らせ」には日々の雑感、興味のある分野を記載しています。
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2.14(土)読了
御徒歩の別所彦次郎は文武両道の30男。それが見込まれて300俵取りの上役の入り婿となる。しかし跡継ぎ息子が生まれた後、あらぬ陰謀により入り婿先を追い出され、実家で浪人生活を送っている。 ある日、彦次郎は小さなお稲荷さんを拝む。出世の神と思い祈願したところが、あろうことか、不幸の神が宿っている稲荷であった。彦次郎を貧乏神、疫病神、死神が襲う。彦次郎はそれらの悪神を他人に移してしまう。入り婿先が没落し、実の兄が病気になる。彦次郎は実家の当主となり、御蔵番の勤めを始める。 幕末~明治維新の日本を舞台に、一介の御徒歩が「侍」の在るべき姿を模索し、自身の存在意義に沿って命を散らしていく。主君のために命を捨てて奉公するのが侍の矜持であり、死神に取り憑かれながらも数ヶ月の命乞いをして、15代将軍徳川慶喜の影武者として出陣します。 浅田次郎の作品にしてはめずらしく、悪神というファンタジーの存在が出現します。これを何かの示唆的な実体と見ることもできます。途方もない困難な状況下においても、侍というものはかくあるべきということが描かれています。所謂武士道。 個人的にはいまいちという感じがしますが、言わんとすることは伝わってきます。武士道なんて、今の世の中では死語ですね。であるからこそ、心惹かれるし、感動もします。 PR 2.12(木)読了
2.11(水)読了
エッセイ集。 林真理子のエッセイを続けて読んでいると、ときどきネタが重なっていることに気づく。これは知って書いているのだろうか? たとえば原田宗徳氏なんかは、西早稲田キャッチボール同盟(だったっけ?)というのを友人と2人で結成し、キャッチボールをやったなどというどうでもよさそうなネタを繰り返し繰り返し使っている。あざとい作戦だが、あれだけエッセイを書いていればネタという点からそうせざるを得ないのだろうと、親心のようなものが湧く。仕方ないではないか、と。 林真理子もエッセイを量産しているので、重複はしかたがないかもしれない。温かく見守ることにしよう。 ちなみにこの本、数年前に読んだかもしれない。何篇か見覚えのある内容があったので、「やっちまったか」と読みながら眉をひそめた。ぐすん。 「皆勤賞」というタイトルは、おそらくエッセイ500回記念としてつけられたものでしょう。皆勤で500回! って、素晴らしい。
2.10(火)読了
短編小説6編収録。どれも明治維新前後の話。 浅田氏の時代小説の短編は(長編も)、明治維新前後の武士の身の処し方についてのものがほとんどです。どうやら自身の祖父に昔語りに聞かされた話が影響しているのだと思います。今作品のいくつかも、祖父から聞いた話を寄せ集めて一つの物語をでっち上げた、と出典を明らかにしています。 表題作の「お腹召しませ」は、女と駆け落ちした養子息子の罪を義父が切腹して償うという話ですが、その家族が冷たい。妻と18歳の娘は盛んに「お腹召しませ、お腹召しませ」と言い、上役も「お腹召しませ」と、判で押したように申し渡す。介錯を頼む友からは、「自殺の手伝いなんてやだよ」と冷たくあしらわれる。武士として切腹するのはやぶさかではないが、このような扱いに主人公はほとほと嫌気がさし、切腹をとりやめる。 武士のたしなみとしての切腹と家族・友人の邪険な扱いがコミカルに対比されており、落語を読んでいるようでとても楽しかった。 物語の冒頭に浅田氏の短いエッセイ風の文章が入っているが、好きになれない内容のものがいくつかある。若い時分にフーテン狩りをしていた、などというのは、挿話として出すのはどうかと思う。不快な気分になる。本編と関係ないところで浅田氏の点数を下げており、そこだけが残念だ。
2.8(日)読了
エッセイ集。 浅田次郎氏のエッセイは初めて読んだが、存外、面白い。自衛隊時代の裏話や2年の期間満了後に、今でいうマルチ講に手を染めてぼろ儲けしたり、といった内容が硬筆の文章で書かれている。 下ネタも多い。嘔吐、金玉、ゲロ、クソ、などといった下劣な単語が飛び交い、存外、面白い。不覚にも声をあげて哂ってしまった。 自身のハゲネタや競馬場でのネタ(浅田氏は大の競馬好きで、専門誌にコラム欄も持っていたらしい)、時々真面目に論じている時事ネタは今となっては古いものだが、なかなか良い。 浅田氏は若い頃に相当ヤンチャだったらしく、というか、半分ヤクザのようなものだったらしい。企業舎弟のようなこともしていたようで、「その筋の者」に拉致監禁されたことは数知れず、よく生きているなぁとご本人も語っている。 『蒼穹の昴』を執筆したイメージからは想像もつかない人生と人柄のようで、読んでいて思わずのけぞってしまったのは私だけではあるまい。 エッセイや対談本には当たり外れがあるが、浅田次郎氏のエッセイは「当たり」だ。ほかにも数冊出版されているようなので、さっそく読んでみようと思う。
2.8(日)読了
切腹した新撰組隊士であり南部藩脱藩者の吉村貫一郎。その息子は17歳になり、父の汚名をそそぐべく鳥羽・伏見の戦に参戦、命を捨てる覚悟であったが、それも叶わず。津軽海峡を北上し、旧幕府軍最後の砦である箱根の五稜郭を命の捨て場とする。 大野は奥羽越列藩同盟を堅持する方向で藩論を纏め上げる。官軍に寝返った秋田藩を攻撃、官軍に攻め立てられ、ついには奥羽越諸藩は壊滅。南部藩も恭順の意を示す。その責をとり、大野は斬首される。 貫一郎の娘は、彼の元上司である大野の息子と結ばれ、医者となり中国の奉天で町医者となる。そして貫一郎の脱藩後に生まれた末息子は、父と同じ「貫一郎」と名付けられ、大野の中間(ちゅうげん)に背負われて、越後の豪農に預けられる。後に帝国大学で農学を修め、農学博士として米の品種改良を行う。 義士である吉村貫一郎を中心として、それに関係するさまざまな人物の供述、回顧録のような形態で物語が進みます。貫一郎の一人称が南部言葉で語られたと思ったら、次には新撰組の斉藤一の回顧録、次は貫一郎の息子の一人称、大野の中間の一人称、回顧録……。 語りの人数が多いので、重複する文章や内容もありますが、それらをパズルのように重ね合わせて、人物像を浮かび上がらせるという楽しさもあります。 この小説を読んで、浅田次郎は巧い作家だと、つくづく思いました。面白い作家、泣かせる作家というのは割といますが、巧い作家というのは案外少ないものです。 時代小説の楽しさも、浅田氏の本を読んだことで知ることが出来ました。歴史関係は好きなのですが、なぜか小説で読もうとは思いませんでした。恥ずかしながら、「翔ぶが如く」も読んだことがありません。これを機会に、読むジャンルを広げてみようと思います。
2.5(木)読了
エッセイ集。あいからわずさまざまなことに手を出している真理子嬢を垣間見ることができる。 語学勉強について何篇か書かれている。林氏は英語、イタリア語、フランス語などを勉強するのが好きなのか、いろんな教材(ベルリッツの20万円もする教材セットなど)を購入しては、ちょっとやってみてすぐに飽きる人のようだ。いわゆる3日坊主というやつだが、こういう人は非常に多いと思う。 それにしても、なんで外国語を勉強したいのだろうかと、エッセイを読んでいてふと思った。 一般的な日本人は、中学校以降に英語を習いはじめる。中学校から始めて高校、大学と勉強した場合、足掛け10年間も英語を勉強することになる。それだけ時間をかけて、英語を喋る機会がどれほどあっただろうか。皆無とまではいかなくても、ほとんどなかったと思う。英語が必要なレアな機会に恵まれたとしても、せいぜい中学校レベルの英語をなんとか並べ立てて、しかもそれで案外用が足りたりもする。 高校のときに、外国人から英語で話しかけられたことがある。どうやらO大学への道順を聴いているようだ。 受験期ということもあり、今よりも多少は英語を理解できた私は、意気揚々と道順を教えてあげた。だけれども、なぜか相手に通じない。おかしいなと思い、彼女の顔を見ると、どう見ても英語圏の人ではない。聞くと、Chineseと返ってくる。来年からO大学で勉強することになった留学生だという。 結局、漢字の筆談で道順を教えてしまった。だって、そのほうが早くて解りやすかったんだもん。 膨大な時間を割いて勉強したモノが、実際には膨大な時間の無駄使いでしかなかった・・・・・・こう考えると萎えるものがある。文字通り、語学勉強は「夢中」で頑張るのがいいようだ。
2.4(水)読了
新撰組の吉村貫一郎の生涯にスポットをあてて、新撰組の変遷や時代の流れを描いている。 新撰組といえば、近藤勇、土方歳三、芹沢鴨、沖田総司、斉藤一、永倉新八などが有名で、これらの人物を中心に語られることが多いなか、吉村貫一郎という人物はほぼ無名と言ってもいいと思います。私もこの本を読むまでは知りませんでした。 吉村貫一郎は南部藩の生まれで、剣術と学術に秀でた文武両道の才子でした。しかし、足軽の子という出自のため、二駄二人扶持(年16俵)という薄給に喘いでおり、妻子を養うこともできずにいました。おりしも時代は天保の大飢饉、吉村の妻は身重の自分をはかなみ、自殺の手前にまで立たされました。そこに至って貫一郎は南部藩を脱藩、京都に出て新撰組の門を叩きます。 貫一郎は剣術の腕前と学術ともに見込まれ、出世を果たします。年80俵も貰える身となったときには、隊士達の面前にもかかわらず涙を流さんばかりの喜びよう。そして給金はすべて実家に送金する。そんな貫一郎の行動は隊員たちに奇異に映り、変人呼ばわりされたり、軽く見られたりしていました。 御一新後の官軍との戦いで新撰組は旧幕府軍として参戦し壊滅。貫一郎は脱藩した南部藩の大坂長屋にたどり着き、帰順を申し出ましたが、そこで下された沙汰は「切腹」でした。長屋内で貫一郎は見事に切腹をします。 貫一郎の一人語りと、大正期以降まで生き延びた、新撰組隊員たちの昔語りを交互に交えて、新撰組と貫一郎の生涯を描いています。 460ページと少々長いですが、重厚な文章と興味深い内容で、一気に読むことが出来ます。下巻も期待できそうです。
2.2(月)読了
近未来物語。青少年の自殺改善策の研究の一環として、国に選ばれた幼児は心臓手術を施される。スイッチを押せば心臓が止まるというなか、独房に押し込められる。そのようなストレス状況下において、子供はどの段階でスイッチを押すかという国家の実験。そのようなテーマで一本の小説を書いている。 面白そうな題材なので読んでみたけれど、最初の2、3ページで放り出しそうになった。 ①文章がとてつもなく下手。そこらへんの高校生が頑張って書き上げた小説のよう。 ②どうでもいい不要な会話が多すぎる(「あ、ああ」「はい」「うん」←こういうのは端折るべき) ③生活内容をべったり書いている。場面展開がおそろしく下手(例:食事を摂ってトイレに行った。) ④悲劇的に語彙が少ない。 ⑤登場人物の行動に常識がない。特に主人公の性格・行動は破綻している。精神病と断言できる。 挙げたらきりがないけど、特に①の文章が下手については致命的。 山田氏が25歳の時の作品だそうですが、平均的25歳よりも下手な文章だと思う。文章スクールに通って基本的な文章作法を習ったほうがいい。 処女作の『リアル鬼ごっこ』も低レベルな作品だった。個人的には1次選考通過がやっとというレベルだと思う。この作品はそれに輪をかけて酷い。日本で最も稚拙で下手な作家といっても過言ではない。読んでいて苦痛だった。我慢して最後まで読みきった自分を褒めてあげたい。
2.2(月)読了
エッセイ集。1993~1994年に書かれたもののせいか、近年の文章と違い硬派な感じがする。普通の文章というか、ちょっとユーモア不足かな、といった感じ。出版社の要請や掲載紙によって使い分けしてるのかな(あとがきを見たら、朝日新聞の家庭欄ということで、なるほどと思った)。 女性の権利やフェミニズムチックな題材が多いのも特徴です。その反面、林真理子おとくいの食べ物に関する記述がほとんどない(皆無)。時代の要請っていうやつでしょうか。 1993年といえば、社会党の土居たか子が牽制を振るっていた時代(おおげさかな)なので、その手の話をすれば耳目を集められたのかもしれない。 林真理子さんは結婚して夫の姓に変更したので、林真理子というのはいまやペンネーム(旧姓)なのだそうです。姓が変わって書類変更の煩雑さをエッセイに書いていますが、それならば別姓にすればよかったのに、と思ってしまいました。 そう簡単にはいかないのかな。 |
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