読書日記を感想文的に書き綴っています。「お知らせ」には日々の雑感、興味のある分野を記載しています。
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3.7(金)読了
人気作家の村山由佳さんが書いた童話。 <あらすじ> 草食恐竜の夫婦は卵を5つ産み、森の隠れ家で大切に育てていた。順番で卵を温め、食料をとり、赤ちゃんが生まれてくるのを楽しみにしていた。そのかいがあり、5匹のかわいい赤ちゃんが誕生した。しかし、父親は帰ってこない。母親は飲まず食わずで2日間、赤ちゃんのもとにいたが、とうとう父親を探しにいくことにした。泉まで来たとき、白骨化した恐竜の骨が落ちている。無残にもティラノサウルスに食べられた父親だった。悲しみにくれて赤ちゃん恐竜のもとに帰ると、誰もいない。恐竜に丸呑みされてしまったのだった。立ち直れずに痩せていく母親恐竜。ある日、大きな卵をみつける。沼に沈んでしまったティラノサウルスの卵だった。かわいそうに思った母親恐竜は、憎いティラノサウルスの卵だったが、育ててあげることにした。生まれた赤ちゃんをディランと名づけた。 すくすく育っていくディラン。肉食恐竜ではあったが、とても優しい恐竜に成長した。ある日、大きな火の玉のかたまりが海に落ち、地球の温度は急上昇し、草は枯れ、草食動物も死んでいった。母親恐竜も死にかけていた。わたしが死んだらわたしを食べて生き延びなさい、といい母は死ぬ。優しいディランは母を食べるなどとうていできない。他の肉食恐竜がやってきて、ディランの母にかぶりつく。ディランは怒り、はじめて他の恐竜たちと戦い、母親をの遺骸を守る。ディランは何度も何度も戦い、母親を守った。 やがて地球の温度は低下していき、雪が降り積もっていく。もう動いている生物はいない。ディランは最後まで母親を守ったのだ。ディランと母の遺骸を包むように雪は降り積もっていった。 いい話です。童話にはたまに感動する物語があるので、バカにしてはいけない。これは当たりです。 村山由佳さんは「エンジェルズ・エッグ」ですばる新人賞を受賞した方です(だったと思う)。村山さんの他の作品は読んだことがないので、機会があったら読みたいと思います。 PR
3.7(金)読了
エッセイストの群ようことマンガ家の西原理恵子の対談集。 年齢は10歳近く違う両氏だが、案外仲は良いようで話に花が咲いています。内容はそこら辺の場末の酒場でおばちゃん同士がしているバカ話に近い。具体的にいうと、印税を家族に浪費される話や若かりし頃のヤバイ話。印税浪費は額がハンパない。20~30万円はごあいさつ程度。300万のベンツを買ったり、バッグを買ったり、挙句の果てに2900万の土地を勝手に購入されたり……。印税の大半を実の母親に使われているようです。まぁ大きな子ども(といっても70過ぎだが)といったところか。二人の金持ち自慢のような感じもして、読んでいてあまり気分はよくなかった。 若かりし頃の過ちもすごい。西原氏は完璧なヤンキー娘で、シンナー、パッパ、マリファナは当たり前、暇だから万引きetc.etc...あまりにやばくてカットされた話も多かったようです。「田舎で暇だったから」というが、そういう問題ではない。 まぁ~、図書館で貸りて読むのはまだいいが、定価1,200円で買ったら腹立つだろうな。リコール運動起こしたくなるくらい。
3.6(木)読了
<あらすじ> 小さな町のラテン語学校に通う10歳の主人公エーミール・シンクレールは些細な理由で悪童クローマーに脅されてしまう。深く苦しんでいたシンクレールはある日彼の町にやってきたマックス・デミアンに救われる。デミアンは彼にカインとアベルについて、そして二つの世界について語った。そして語られた二つの事は成長後のシンクレールに大きな影響と迷いを与える事となった。 今作品は第一次世界大戦後の1919年に発表され、偽名のエーミール・シンクレール作として出版されました。後にヘッセ作ということが知られ、1920年からはヘッセの名で刊行されるようになります。冒頭こそはシンクレール少年(ヘッセ)の幼少期の物語として語られており、「郷愁」「車輪の下」などと同じように、自身の少年期の憂鬱な体験をベースに書かれているように見えますが、デミアンとの関わり以降はその姿が成りを潜め、自己の追及や精神世界との関わり、というような抽象的な事象を通して物語を紡いでいます。ヘッセのそれまでの作品でみられた抒情詩的な側面は薄れ、むしろ叙事詩として作り上げられています。 旧約聖書のカインとアベルを根底の主題としており、最低限の聖書の素養がないと理解は難しいかもしません。仏教的思想や哲学的命題(特に現象学的)も散りばめられていて、ヘッセ自身の内面の思索的部分を纏め上げて形にした作品といえます。神と悪魔を超越した神アプラクサス、これはヘッセ自身が善悪の事象を纏め上げて止揚(アウフヘーベン)しようと試みた象徴ではないでしょうか。あらゆる事象は中立であり、物事に価値観を与え善悪の判断を下すのは客体の総意(創意)に過ぎない。事象をより高い次元から俯瞰すれば、善悪というあたかも相反するように思える概念も、実は単なる差異が存在しているに過ぎず、それぞれ独立した個性があるに過ぎない、といったところでしょうか。事象は超然としてただ存在しているということです。これは仏教思想、特に法華経やフッサールの現象学に通ずるところがあり、論理的整合性を重んじている点は、いかにもドイツ作家といった感があります。 思想や細かい論理に興味の無い人には読みにくい本かもしれません。一読して「あっ、自分にはあわない……」と思ったら無理に読まないほうがいいでしょう。眠れない夜には効果抜群かもしれませんが。 最後に、デミアンは怖いです。道を歩いていたら、いつの間にかスッと後ろに立ち、「やぁ」と語りかけてきます。もう少しでホラー小説になります。神秘的少年のホラー。筒井康隆に書かせたらものすごく怖そう。「ケケケケケケケ」とか言ってデミアンが走り去ったら怖い。絶対、夢にでる。
3.6(木)読了
ショートショート集。小ネタ集といってもいい。 1つのネタが2~3行意から1000文字程度の長さで完結している。ちょっとした時間つぶしにはいい感じの本。オチはあるような無いような、あっても面白くなかったりもする。深く考えずにさらりと読み進めるのが吉。欧米ではこの手の本が多数あると聞いたことがあります。たいていはブラックユーモアで挿絵が入っているようです。星新一氏が「進化した猿たち」という文庫本でアメリカの挿絵を紹介しています。星氏もこの手の作品が好きだったようです。 筒井氏の他の本で、「『天狗の落とし文』は夢からアイデアを持ってきた」と書かれていた記憶があります。すべてではないにせよ、いくつかの作品の大ネタは筒井氏の夢をリメイクしたもののようです。筒井氏は他の本でも夢からアイデアを膨らませたものがあると述べていました。芸術家にとって夢は宝庫なのかもしれません。数学の世界でもベンゼンやラマヌジャンが夢から解法を発見したのは有名です。夢って不思議ですね。
3.3(月)読了
東海林さだおと椎名誠の対談集。 「生ビール、うぐうぐしたいですよね」から始まった対談がそのままタイトルになったもの。ビールの限らず、食と女とアルコールの話ばかりしています。12回に渡って企画された対談のようで、そのたびに違う場所で飲み食いするという、なんともおいしい対談。あるときは居酒屋で、あるときは屋形船、高級料亭、すっぽん店など、出版元の文藝春秋持ちだから高い店にいくぞ! という下心丸見えのご両者です。対談内容は、まぁ、酒屋で酔客がやっているのに毛が生えたような、下々の話が多数取り寄せられております。東海林さんといえば、食べ物に関する分厚い本を出していると聞いたことがありますが、読みたいと思いつつまだ読んでいません。なんでも、電話帳のようにぶ厚いとか。京極夏彦の「姑獲鳥の夏」とどちらが厚いだろうか。いつかは読破したいものです。 それにしても、酔客の戯れ話が本となり、著者(話者か?)の名前で購入する人がおり、出版社は儲かる。金がかからず高視聴率が期待できる料理番組のようだ。でも、ほんとに対談しているのか疑問になってきた。実は「対談ゴーストライター」なる人物がいて、「今日は有栖川有栖と森博嗣、明日は綾辻行人と小野不由美(夫婦か)、あさっては~、立花隆と綿矢りさにしよう♪(←みてみたい)」などと適当に自分の脳内対談をライティングしているのではなかろうか。それはそれですごいな。著作権は本人の死後50年だっけ? 戦後に自殺した文豪同士の対談なんて面白いかもしれんな。小説の新たなジャンルになるかもしれないな。
3.2(日)読了
中島らも氏の事務所で飼育している「とらちゃん」というトラ猫の日常を描いた本。 とらちゃんはらも氏が黒門市場という大阪で有名な市場で三千円で購入してきた雑種のトラ猫。ちなみに黒門市場にはフグとかスッポンとかカエルとか、奇妙な食材を多数売っているもようですが、なぜ猫が売りに出されていたのかは不明です。食べ…みなまで言うまい。 本にはとらちゃんの写真が多数載せられていて、みているだけで癒されます。本書内でとらちゃんにマジックマッシュルーム(当時は合法ドラッグ、現在は違法だと思う)を食べさせてふらふらになった記述がありましたが(このネタは「アマニタ・パンセリナ」でも使われている)、100パーセント確実に動物保護団体等からクレームがあったと思う。らも氏の本はクレームのオンパレードなのでは? それだけ差別用語やヤバイネタが多数使用されています。欧州ではこの手のブラックジョークはかなり使われていて、日本ほど言葉狩りも厳しくないというのを聞いたことがあります。日本は進んでいるのだか、遅れているのだか。中島らも、筒井康隆、小林よしのりの3氏はポリシィを持って言葉狩りに立ち向かっている気がします。気迫を感じるので、割と好きです。 実は中島らもは何度も直木賞候補になり、最終選考で落選しています。やはり才能はある。 らも氏、本当に惜しい人を亡くしたものよ。
3.2(日)読了
<あらすじ> 68歳の主人公、小歩危ルカ(中島らもの分身)。十数年前に「死ぬまで踊れ」という小説を書き、350万部を売り上げて数億円の印税を受け取る。子どもが自立した後に奥さんに逃げられ、自宅を1億円で売却し、現在はホテル住まい。普段はテレビ出演を断っているのだが、昔の友人の頼みでNHKに出演し(徹子の部屋をもじった番組)、放送禁止用語を連発する。トーク役としてレギュラー出演している19歳の少女「クク」は大笑いして、賛同する。当然、多数のマスメディアから苦情とともに、ルカの宿泊しているホテルに取材申し込みが殺到する。酒場で出会った50代のミュージシャンのもとに避難。5日間過ごして帰る。 タイトルのロカとは、ルカ老人が購入した18弦のギターのこと。ルカはいつもこのギターを持ち運んで、作曲し、ときには路上で弾き語りなども行っていた。ロカは酒と薬物が欠かせない俗物中毒者でもあった。クク少女と外食をして、ロカは少女のことが好きになる。そしてロカはククをデートに誘う。夕方5時に雷門で待ち合わせだが、したくをしていて現在は4時半過ぎ。いそいで金庫から30万円ほど取り出し(何に必要かは不明)、無理やり財布に入れてタクシー乗り場まで急ぐ。そのとき、通りかかった警察から職務質問を受ける。「こんな時に。よりにもよって職質(不審尋問)かよ!」 上記の一文の後、らも氏は飲食店の階段からすっころんで逝去。よって、この作品は未完で終える。南無。手塚治虫の「ネオ・ファウスト」「ルートヴィヒ」も氏の死去により未完だが、こうなってくると続きが気になってしまう。思わず勝手に続きを書いてやろうかと畏れ多いことを考えてしまう。しかし、惜しい人を亡くしたものだ。 3.4(土)読了
2.29(金)読了
定年退職者にあてた、書くことの意義、書き方、小説作法などの本。とはいっても、年齢に関係なく読める内容になっています。 著者の鷲田氏が63歳くらいに書かれた本(2006年出版)なので、それを意識して書かれたのではないかと思います。鷲田氏は、まず最初に目次を作ったら、いきなり書きましょうと述べています。これはつまり、ストーリーが云々とか各材料がどうたらなどと言っていたら一生書かないまま終わってしまう、ということではないでしょうか。 作文でも読書感想文でもそうですが、書き出しが一番難しい気がします。最初の一文字は何から書けばいいか?これは永遠のテーマではないです。 「春一番が吹き荒れて街のあちこちでは足早に帰宅の途につく人の群れが……」こんな出だしでは誰も読みません。一瞬で本を閉じられ、天岩戸は永久に開かれません。 「春一番で女子高生のスカートがひらめき、街のあちこちで純白のパンティが……」こちらのほうがいいです(よくない)。あとは田力男まかせということで。 最初から難解だったり、情景描写ばかりの本もつまらないですね。ヘッセの「郷愁」がそれで、冒頭で敬遠される可能性があります。ヘッセの描写は退屈だけど、すごく上手くて詩的なので、言葉の雰囲気を感じとるのが吉。冒頭で損をしている本ではある。 とはいえ、この「読書日記」も相当おもしろくない。誰にみせるでもなく、読書感想と備忘記録のために書いているので、おもしろくなくてもよい。書いていれば記憶も定着するし、文章の書き方の練習にもなる(かな)。 備忘記録は非常に大切です。未読と勘違いして同じ本を2度読みしたことが何度かあります。テレビ映画やレンタルビデオでは同じものを3度観てしまったこともあります。その名も「プライベートライアン」。3度目はさすがにへこみました。おもしろかったからいいんだけどね。その日の午後9時から上映する映画をレンタルしたこともあります。たしか「ウォーターなんとか」。友達が面白いというので借りたら、新聞のテレビ欄に……。午後9時ちょうどからビデオを観始めたことは、いうまでもありません。トホホ。 閑話休題。鷲田氏はその他、書くことのよろこび、自分の本が出版されたときの興奮、印税のありがたさなど、書きつづっています。完成した作品は実の子どものようなもののようです。1,000円の印税を受け取るのに10万円分くらいの投資をしなければならないとも述べられています。100冊以上の著作を発表されている鷲田氏ですが、若い頃は苦労していた、ということがわかる一冊です。読後感、良。
2.27(木)読了
<あらすじ> 大学卒業を間近に控えたさとしだが、就職先はなかなか決まらない。深夜のコンビニでアロハシャツを着た初老の男ヤマキに話しかけらる。腕をつかまれると、さとしの意識は遠のいていく。気がつくと本屋の倉庫で倒れていた。初老の男性ヤマキはさとしに短期アルバイトとして、本屋の店長代理をまかせる。いやいや勤め始めたさとしだが、意外と自分にあっていて、本屋の店員はおもしろいことに気づく。店員は20歳くらいのふてくされた感じの女の子ユイと、漫才コンビのような2人の男性だった。店長代理は客のリクエストに応えて朗読サービスを行うのが、その本屋のやり方らしい。さとしはしぶしぶ、小さな子のリクエストに応えて本を読む。すると、朗読を聴きに人がたくさん集まってくる。子供だけでなく主婦やサラリーマンたちもやってくるようになった。さとしは驚いたが、しだいに朗読が好きになっていく。 本屋の2階で寝泊りしていたさとしだが、旅行から帰ってきたヤマキに、ここは天国で自分は天国と人間界の橋渡しを行っている人間だ、と聞かされる。ストレスがたまったのでバカンスに行きたいが、本屋も経営している。よって、人間界からさとしを連れてきて、店長代理に据えたとのこと。もうしばらく働いていたらさとしは人間界に帰ることになるらしい。 ユイは現世で自殺し、再教育の形で天国にいて、そのうちまた人間界に戻ることになるらしい。そのためには、大笑いしたり、大泣きすることが必要。つまり感情の開放だ。さとしは次第にユイと親しくなっていき、喫茶店で身の上話を聞かされる。両親を亡くして弟と2人暮らしだった。時間がなく恋人とはあまり会えない。そのため振られてしまった。ぼーっと道を歩いていたら、弟がユイを追って走ってくる。そして車に跳ねられて死んでしまった。ユイは自分を責めて、ビルの屋上から飛び降りて自殺した。そういうことらしい。 ある日、いつものように子供が朗読をせがみにくる。「ナルニア国物語」7巻の終わりの方だった。朗読していると、いつもはさとしの朗読を聴かないユイが涙を流して聴いていた。弟が好きな本だったのだ。そして、その本の朗読を頼んだのは事故死したユイの弟だったのだ。途中からユイが朗読を継ぐ。ユイは感情を開放して自殺直前の状態に戻ることになる。1日の猶予が与えられ、2人で公園で話をする。ユイがさとしにキスをする。ユイは人間界に戻ったら記憶を無くしてしまうが、さとしは絶対にユイを探し出すと決意する。さとしも人間界に戻ることになる。後任は、ヤマキが一緒にバカンスにいった女性(老いらくの恋人)を連れてくるらしい。最後の朗読はさとしが選んだ「泣いた赤鬼」。さとしが祖母に聞かされた好きな本だ。朗読中、後任の女性がくる。なんとそれは、さとしの祖母だった。 人間界に戻ってさとしは書店の店員になる。いつユイがきてもように「ナルニア国物語」は一番良い場所に配置している。10年後、さとしはお金を貯めて小さな書店を開く。子供たち相手に朗読サービスも行う。人間界に帰ってきて20年後、さとしは結婚し、子供もできていた。いつものように小さな女の子に頼まれて朗読をする。それは「泣いた赤鬼」だった。朗読し終わって、女の子は帰っていく。妻がさとしに声をかけてくる。さとしは妻に声を返す。「いま行くよ、ユイ」 小中学生向けの本ですが、すばらしい本です。短い話ではありますが、シンプルながら切れのいい設定が施されていて、読後感も良好です。何気なく読んだ本なのですが、めずらしく当たりでした。感動したい人は読まれることをおすすめします。 |
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