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読書日記を感想文的に書き綴っています。「お知らせ」には日々の雑感、興味のある分野を記載しています。
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9.27(日)読了
芸人、劇団ひとりの処女短編集。
それぞれの物語がオムニバス形式になっていて、ほんの少しずつリンクしています。

エッセイ集に続けて彼の本を読むのは2冊目ですが、とても面白さ。風景や情景描写こそ少なくなくて、細部が説明不足気味ではあるが、内容の面白さはその辺の下手な作家より上。中には感動させる作品もあって感心させられた。

はっきり言おう。劇団ひとりは文筆の才能がある。芸人ではなくそっちの方面に進んでいれば、今頃作家デヴューしていたかもしれない。今からでも新人賞を狙って小説を書いてみたらいいと思う。「オーラの泉」では江原氏に宇宙人のような存在が憑いているとか、あまつさえ性欲過剰などと酷いことを言われていたが、文章の才能を褒められてはいなかった。江原氏でも彼の才能を見抜けなかったということか。

第3作目、期待してます!

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9.26(土)読了
ミュータントをテーマにしたSF。
精神感応能力をもつ人類の新種、スラン。スランはその特殊な能力から、人間によって追い立てられていた。スランには頭から触毛の生えている純粋なスランと、生えていない無触毛スランがある。スラン、人間、無触毛スランの3すくみの戦いが起こる。

SFクラブのアンケートで海外SF20位前後にランクインされていた「スラン」。途中まではまずまず面白かったのですが、中盤から終盤にかけて尻すぼみになっていった感じ。ラストは予想通りの結末で、それも中途半端な終わりかたをしている。もう少しなんとかならなかったのかと思う。

読心能力者と宇宙船を同時に出したところはちょっと驚いた。てっきり読心能力一本やりで行くと思っていたので。逆に言うと、驚いたのはそこだけだった。もう一捻り欲しい一作だった。
9.24(木)読了
ヘビに関する疑問に答えた本。ヘビの味覚や嗅覚、模様の意味、繁殖行動から毒の強さまで90個の疑問に対して具体的に書かれています。

個別のヘビについてピンポイントで書かれているわけではなく、あくまでヘビ総論といった感じの本です。著者がアメリカ人(だと思う)のため、どちらかといえばアメリカ中心にヘビが偏っていた感もあります。

現在私が飼っているヘビはシマヘビ2匹なのですが、残念ながらシマヘビに関してはあまり書かれていませんでした。それでも成長速度などについていくつかの有力な情報を得ることができました。それによると、どうやら私の飼っているシマさんは満2歳のようです。1歳だと思っていたけど、おそらく2歳。どちらも80センチ前後だから。あと1~2年成長して、1メートル20センチ程度まで伸びるのだそうです。飼育ケースがいっぱいいっぱいになるな。

どちらかというとマニアックな部類の本に入るので、従来のヘビ入門書に飽きた人、レベルアップを図りたい(ヘビレベルのね)人にお勧めです。
9.23(水)読了
「水」に関する短編7編とプロローグ・エピローグから成っているホラー小説。
鈴木氏は二十数年間を東京湾近郊のマンションで暮らしているため、舞台はほぼすべて東京になっています。

鈴木氏の小説を読むのは10年ぶりくらいですが、改めて読んでみると、文章が巧いことに驚かされました。ホラー小説に適した緊迫感のある文章というか、とにかく雰囲気がよく出ています。そして、ホラーだから当然というべきかもしれませんが、よく人が死ぬ。あるいは死者が出てくる。水の底から現れる死者はそれだけでゾッとします。海の底で腐乱死体に足首を捉まれた日には、恐怖でちびりますね。

最近はホラー小説をあまり読まなくなりましたが、これを期にいろいろ読んでみようと思います。SFも本腰入れて読みたいと思っているので、なんだかんだで押してきてますね、読書。
9.21(月)2読了。
人類が初めて火星に有人飛行するSF小説。宇宙空間での事故により、宇宙船には主人公ただ一人が生き残る。何とか火星に降り立ったものの、希薄な大気、微量の酸素、水、食料……生き残るためにたった一人の戦いが始まる。

「ロビンソン・クルーソー」のオマージュです。火星で奮闘した主人公は水や食料といった問題を次々に解決していきます。火星には奇妙な植物と昆虫様の生物、さらには人間のような生物、クジラのように巨大な生物が存在しています。巨大な生物は光の色でコミュニケーションをとっている知的生命体であることが分かり、主人公は苦心の末、意思の疎通に成功。その生物は地球人とは異なった価値観―ニューエイジのような価値観―を持っていた。生きる意味、努力の価値観など、それまで何の疑いもなく受け入れていた価値観をことごとく否定され、主人公は懊悩する。

主人公は結局、地球から降り立った宇宙船に救われて火星から脱出することになります。火星での知識、特に巨大な知的生命体の考え方や習性などをクルーに教えるが、価値観の違いによりどうにも受け入れられない。

10年ほど前に1度読んで、今回2度目です。人間の生きる意味、目的などを問いかけられているようで、読んでいる最中ふと考えてしまいます。何のために生きているのだろうと。生まれて生きて死んで終わり、そのように単純なものなら、メチャクチャ快楽に生きて好きなように生きるのが最高の生きかたということになります。殺人をして奪い、それでもって反省する必要もない。だって、死ねばすべてチャラになるんだもの。倫理や道徳なんてまったく無意味。だって死ねば何も無くなるんだもの、ということです。

まぁ、死後のことは死んだ後にしか分からないので、なんとも言えない。とりえあず迷惑をかけないように生きていくのが最も無難な生き方といえるのだろうか。
9.20(日)読了
葬祭関係、スピリチュアル関係などについて、一般的にどう捉えたら良いかが簡潔に書かれた本。
たとえば、お墓が無いと先祖霊が祟るかどうか、お札を捨てるとバチがあたるかどうか、守護霊は供養しないといけないかなどです。

私個人としては霊は存在するし、あの世もあると思っています。しかし、お墓は特に必要とは思いません。日本人には仏教徒が多いですが、そもそも仏教にはお墓というものは存在しません。戒名なども、単なる文字にン万、場合によってはン十万円も支払うなんて馬鹿馬鹿しい限りだと思っています。そういう物質的なものに霊は関心がないようです。たとえお墓がなく、質素な葬式だったとしても、心から個人の浄化を願うほうがよっぽど良いようです。物質にこだわるのは現世人のミエに過ぎません。というようなことが書かれてありました。同感です。

知り合いに霊感が強い人がいます。しょっちゅう霊を見たり、霊が身体に入り込んできて非常に困っています。この本に書いてある方法や浄化CDを聴かせてあげようと思います。いやー、しかし、低級霊に入られるのは本人が低級だからとは言いづらいな。直接この本を読ませようと思います。
9.18(金)読了
泥の河、蛍川の中篇2編収録。戦後の「川」をモチーフとした文学作品。それぞれ吉川栄治文学賞、芥川賞受賞作。

文学作品ということであまり期待せずに読んでみました。「泥の河」はまあまあ、「蛍川」はあまり面白くありませんでした。情緒溢れる文章で当時の雰囲気はよく出ていると思うのですが、ストーリーがいまいち面白くない。特に「蛍川」は途中で読むのが苦痛になった。

考えてみると、芥川賞受賞作でおもしろいと感じた小説はほとんどない。皆無に近い。そのため、芥川賞作品=つまらない作品という図式が自分の中で定着している。エンターテイメント作品の直木賞受賞作はどれもそこそこおもしろい。ということは純文学はおもしろくないということになる。

とはいえ、おもしろくない作品が駄作であるとは一概にいえない。ニーチェはおもしろいか? マルクス関係の本で楽しめるか? 「カラマーゾフの兄弟」にいたっては最後まで読み終えた人を尊敬する。しかしそれらの著者や本は世界で一定の評価を得ている。

文学的価値と面白さは必ずしも比例しない、むしろ反比例する傾向にある、と言っては言いすぎだろうか……。
9.17(木)読了
いわずとしれたベストセラー小説。芸人、田村裕は弱冠15歳で住む家をなくし、ホームレスとなります。そして公園の滑り台の中で暮らし始める。読んでいてびっくりしたのは、田村氏が仮の宿としていた「まきふん公園」のウンコ滑り台は、実は私の家のすぐ近くにあるのです。自転車で20分くらい走った場所なので、かなり近い。ということはつまり、田村氏とその辺でばったり出会っていた可能性もあったというわけで。いやはや。

父親が「解散!」宣言を下した後、公園住まい、友人の家に住まわしてもらうなどを経て、周囲の人たちの尽力もあって、3兄弟でアパートに暮らすことができるようになりました。無事生活保護ももらえることとなり、高校も卒業。NSCに入学し、相方の川島と巡り合う。そこまでいくのに、周りの人たちの温かい励ましがあったのは言うまでもありません。そして彼が10歳の頃に直腸癌で亡くなった母親。田村氏はお母さんっこだったようで、本書でも母親の記述がとても多い。読んでいて涙が出てきます。

とはいえ、お涙頂戴の本では断じてない。本書全般に渡ってギャグとユーモアがたっぷり詰め込まれていて、メチャクチャ面白い。声を出して笑える本です。
9.17(木)読了
政治風刺のフィクション。強烈なインパクトのある政治化が総理になり、憲法改正を国民に訴えかけてくる。そのような自体が発生した場合、日本国民はいかに誘導されやすく、自分の頭で考えることなく周囲の雰囲気に流されるかというのが主題。

この本が書かれたのは2004年ですが、政権交代や憲法改正などまさに現在の日本が直面している問題を直に捉えていて、5年前に書かれているとは思えないくらいだった。この本では40前後の若くてパワフルな野党の党首が政権交代で総理になり、改憲の国民投票を行うが、敢えてリンクさせるとこの総理は鳩山由紀夫氏ということになるのか。鳩山氏にそこまでのカリスマ性があるかどうかは疑問だが、政権交代を果たした今、日本のためにがんばってもらいたいと思う。

日本国民が周囲に流されやすいのはその通りだと思う。これは結局、偉い(と言われている)人や専門家の意見に納得し、簡単に従ってしまうのが原因なのだと思う。つまり、実際に自分の頭で考えていないということだ。国のトップについている者達にとって、大衆は適度に愚昧であるほうが都合が良いため、この流れ(もしくは国民性)はしばらく続くだろうと思う。でも、最近の大衆って意外にバカじゃないんだよね。上の都合で簡単にいかなくなる時代は近いと思う。

伊坂氏は東北大学の法学部出身ということで、憲法問題や政治に関わるテーマ(特に国体)を主題とした作品が多い。「オーデュボン」もそうだし、総理がラジコンテロに遭った作品はモロにそうだ(題名は忘れた)。特にこの「魔王」はその当時騒がれた社会問題を盛り込んで作品を作った感がある。まるで新聞の連載小説のようだと思った。陳腐といえば陳腐かな。
9.15(火)読了
1998年に脱北して中国、韓国に移り住んだ著者の記録。北朝鮮の現状が克明に記されています。

この頃の北朝鮮は慢性的な飢饉状態で、それでも税金は均一に取られるため、餓死者が出るありさまだったようです(現在でもそうだと思うが)。平時なら10割の配給が4割にまで減少されたため、とうもろこしの皮や草粥を食べて飢えを凌いでいましたが、それにも限界があります。とうとう人喰いまで出現する始末です。人喰いというと現代社会では快楽殺人と捉えられていますが、北朝鮮でのそれは純粋に食料にするための行為です。生きるために人を食う。「羅生門」の命題がそのまま現実になったような世界です。

著者は濡れ衣から牢屋に入れられて、拷問を受ける日々の合間に牢屋の人々からさまざまなことを聞きます。北朝鮮の社会主義が世界で最も優れた思想であると幼い頃から叩き込まれ、またその通りであると信じて疑わなかった著者ですが、次第にそんなことはないと思うようになります。

何とか娑婆に出ることができた著者は、中国に向けて決死の脱北を図ります。死ぬ思いで脱北して中国へ来、放浪の果てに、何とか韓国に到ることができたようです。そこでこの告白本を出版。よく出版したなと思います。北朝鮮に捕まったら即座に連れ戻されて、よくて公開処刑、下手すれば地下牢獄で死ぬよりも苦しい拷問を延々と与えられるでしょう。本当に勇気のある行動だと思います。

飢えるのは苦しい。普通に労働して食べられない国家は、やはりどこかが間違っていると思う。なぜ北朝鮮があそこまで国体にこだわるのか、正直言って理解できない。資本主義、社会主義云々以前に、最低限人民が食べられる国家を目指すべきだし、国策を変更すればそれは可能だと思う。そのためには、軍事クーデターなどで一度国家主権が移ることが必要だと思う。
金成日とサシで話して、国家の現状をどう考えているのか問い質したい今日この頃である。


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